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大相撲放送がらみの忖度か。

大相撲ファンとしてはげんなりな暴行事件。
八百長よりアカンし。
八百長やったらおもろいときもあるけど(←スルーしてw)
暴行なんかどんな場合でもおもろない。

各局、最初は日馬富士あかんトーンやってんけど、
ここへきて何か変。

日馬富士暴行問題 相撲協会 当初は重大事案と判断せず
(NHK11月14日20時のニュース)

NHK見てたら、貴乃花が奇妙で貴ノ岩が重傷ぶってるだけのように聞こえるやん。
6時のニュースなんか、
巡業中に普通に相撲とってる貴ノ岩の映像を巧妙にまぜてた。
相撲協会が重大と思わなくてもしょうがない的な雰囲気に。
貴乃花の行動、そんなにおかしい?
隠ぺい工作も口裏合わせも行われる可能性大やで。
それわかってて、警察より先に相撲協会に届出なんかできる?

流れが貴乃花側不利にリードされてる印象。
やや、もしやこれが印象操作?

リアルタイム検索してみたら案の定、
「叱られてるときにスマホいじってる方が悪い」
「失礼なことを言った貴ノ岩が悪い」
「貴乃花の行動が変」

NHKよ。大相撲放送利権か。

事実も、放送のタイミングや映像の織り交ぜ方で違って見える。
世論作るのって、たやすいんやなぁと知る。

相撲利権ぐらいでコレってことは、政治がらみは推して知るべし。
こわっ。

これ、暴行事件よりげんなり。


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国宝愛はググれるほど軽くない。

京都国立博物館「国宝展」に行ってきた。

いや~、よかったよかった。
早めに行ったから、スムーズに見られたし。
何と言っても小中学生は無料やからね。
子どものときに見たものって、案外記憶に残るからね。
というても、「『神功皇后座像』が伯母に似てる!」とかそんなん・・・。

で、図録を買うてきました。
辞書のように分厚く、写真はオールカラーで豪華。
4期に分かれた展示全部が載ってて、今回見られなかったものも堪能できる。
kokuhou2017.jpg

じっくり読むと、何だか国宝愛が深まる。
この、館長「ごあいさつ」が熱を帯びてる感じ。

要約すると…。

明治維新後の廃仏毀釈の嵐の中、
文化財が壊され、散逸していった日本。
何を思ったか自国の文化を恥じ、西洋至上主義に走った上に、
その西洋人によって、文化財保護の大事さを気づかされた日本人。
イスラム国による文化財破壊の野蛮を非難してる場合やあらへん。
われわれ自身の精神構造だって、それをやっちゃうってことを、記憶すべし。
文化財保護には、守ろうという強い意思が必要。
というわけで博物館には使命があるのです!

てな感じ。

そう。
国宝は一日にして成らず。
ひとつひとつのお宝には、歴史と物語がある。
研究員たちは、それをできるだけ多くの史料にあたって、丁寧に調べる。
解説では、そうした背景も豊かに語られてる。

その作業はきっと、ネット検索して答えを見つけるのとは真逆。
表面的に誰かが語ってるテキトーな情報をつまんだりしない。
情報のソースを探り、手繰り寄せ、裏付けをとって吟味する。
歴史上の他国との関係、世界的な流れを見極める地道さ。
その上で、浮かび上がる国宝のポジション。

自分はこう思う。
こうあってほしい。
こうであったらステキかも。
そんな、独りよがりを凌駕する研究者の国宝愛。

なぜ、それが大切なのか。
なぜ、それがお宝なのか。
繋がって続いてきた歴史の中に確認する作業は、お手軽ではない。
でも、それが国宝愛なんやなかろうか。

愛してるなら、ちゃんと知るべし。
自分の代わりに調べてくれた専門家をリスペクトしつつ、
日本にあるお宝と自分をつなげて、帰属意識を持ってみたりみなかったり。

せんべい食べながら、図録をめくり、
お宝の向こうに、延々続く道を見て、その重みにおののく日曜日。

モノゴトは、ちゃんと調べて吟味しよう・・・と心に誓いつつ、ネット生活を続ける所存です。



「メディアが沈黙する日」

都議選で大勝ちした都民ファースト新代表が、
スーパー右翼という悲報はともかく、
菅官房長官の開き直り会見にはウンザリです。

 安倍さんの「こんな人たち」発言を
 何で有権者を軽視してないと思うの?
 問題ないと思う その理由は?
 と問う記者に、「ないからです」

小3でも「ないからないねん」「しらんからしらんねん」は、
アホ回答やと知ってる。

 加計学園問題、説明責任を果たしてないのでは?
 と問う記者に、「自分自身が納得してないからってしつこく質問するな」

もうね、目の前の記者への憎しみがダダ漏れ。
いやいやいや、目の前の納得してない記者の後ろにウチらがおるんやで。
と、テレビのこっち側で言うてみても 聞こえてないな、こりゃ。
そういや、会見で記者を怒鳴りつけた大臣もいたし、
都議選惨敗をメディアの偏向報道のせいやと言うた大臣も。

権力者が、おおっぴらにメディアを攻撃しはじめたのはいつ頃からやろう。
トランプは、何であんなに自信満々に幼稚でいられるんやろう。
安倍さんは、何であんなに自分への批判は中傷やと思いこむんやろう。

なんて思いつつ、Netflixでこんなドキュメンタリーを見た。
「メディアが沈黙する日」(2017米 ブライアン・ナッペンバーガー)

プロレスのハルク・ホーガンが、ネットメディアGawkerを訴えて大勝した裁判。
驚きは、この裁判でハルクを金銭的に支援してたのが、Gawkerを潰したいと考えていた大富豪ピーター・ティールだったこと。
案の定、Gawkerは会社も代表者も破産に追い込まれる。
ピーターは、「Gawkerの報道に個人的に怒ってたからやった」と開き直り。
この人、低所得者支援団体の活動を妨害したり、
「ゴミのような連中は処分したらいい」てな発言をするアレな人やけど、超金持ち。
ハルクのしょうもないSEXビデオの流出なんか、ほんとはどうでもよくて、
これによって、「権力者に睨まれたメディアは酷い目にあう」という手法が確立されてしまった。

さらに、ラスベガスの有力地方紙が買収された顛末。
買収は投資家集団によってなされたと思いきや、
ウラで糸引いてたのは、トランプとも親交の深いカジノ王。
コラムでそいつに批判的な記事を書いた記者個人を脅し、
記事の撤回を拒否された末の買収劇。
印象的だったのは、記者はただ事実を書いただけやのに、
カジノ王は「侮辱された」とお怒りで、記者個人を恨んでいたこと。

メディアを守るべき合衆国憲法修正第1条は、ないがしろにされ、
トランプは、「名誉棄損法」をつくって、メディア規制をしようと躍起らしい。
なんぼ幼稚でも権力はコワイ。
多額の訴訟費用、賠償金、スポンサーの撤退、
取材先からの締め出し、御用メディアの攻撃、
記者個人への脅し、モノ言う記者の孤立。
記者が苦悩し、メディアが疲弊し、沈黙していく。
ドキュメンタリーは、それでも闘うと誓う人々で締められてた。
けど・・・。

ああ、これウチらの国のことよ~。
社会的責任に無自覚で、
個人的感情と社会的立場を分けて考えられない人たち。
記者個人を憎むことがオカシイって気付かない。
「ハルク・ホーガンはテリー(彼の本名)とは別人だから、
テリーを攻撃するのは許されない」ってのが勝因やったわけやけど、
じゃあ、社会的な立場っていったい何なん?
「ボクちゃんだって総理大臣である前に人なんだぞ!」
って国会で言うんかい。
てか、言うとる気がする。
ゲンナリ~。

いきなり最終進化形を見てしもうた感じ。

あの、国有地を激安ゲットした森友学園。
ちょっとしたゴミのええかげんな処分で8億円値引きって何やーーー。
責任者でーてこーい!(←人生師匠やで)

ほんでもって、あの幼稚園の運動会
アベシュショウ ガンバレ
アベシュショウ ガンバレ
チュウゴク カンコクガ ココロアラタメ・・・
教育勅語暗証とかも、もはや九官鳥状態。
かわいそうな園児たち。
きょぎょぎょ、何のカルトやーーー。

で、どんな教育方針やねん・・・
と、見てみた森友学園籠池校長の「ごあいさつ」がこれ。
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/about/
でででん。

あれ?
「世界の国々の人たちと友人となり、国同士が友好関係を結ぶことは世界平和に寄与する」
ってわりとフツー。
「日本人のDNAの中に『人のために役立つ』という精神が刻み込まれています」
って、ちょいちょい非科学の臭いも醸しつつ、
意外と学校教育っぽい文言。

よう見たらこれ、教育基本法の改正部分にかなり沿ってる。
「公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた」
「伝統を継承し」
「未来を切り拓く」
「豊かな情操と道徳心」

これで、何であんなどぎついことになるんや。
という疑問がわいてくるわけです。

確かに、教育基本法改正からこっち、
「愛国」とか「道徳教育」とか、ジワジワ来てるのはわかる。
保育所でも国旗国歌、厚労省 新指針公表、押し付け懸念も(2017.2.14 共同通信)
みたいな。
教育基本法の改正部分だけが、どんどん肥大していく感じ。

でも、森友のHPだって、まだジワジワ段階のトーンやん。
そやのに、現場ではいきなり最終進化形やっちゃってるわけです。
戦前でででーん。
いや、まだ早いわ。
やるの早いわ。
今やったら教育基本法違反って言われるがな。
もうちょっと、公教育の現場から愛国の風吹かせてからやで。
親学とか広めて、家庭教育も国がにぎってからやで。
前のめってしもうたら逆効果やし。
キモイって言われるし。
洗脳はこっそりやらな。
・・・って、そっち方向の人らかて思てるで。

そもそも、戦前教育のああいう洗脳って、一般国民が対象やったわけです。
フツーの庶民が、あの感じを拒否らない雰囲気作りが大事なわけです。
国のトップは、戦争で儲けなアカンわけで、洗脳とかされてる場合やないわけで。
一方で、歩兵になる国民には洗脳上等なわけで。
とすると、森友学園は歩兵教育やん。
いや~、ほんまの為政者側エリートはあそこに子ども行かせたいと思わんで。
だって、自分の頭で考えへんかったら、庶民をコントロールできひんやん。
もしかして、ただの戦前教育マニアが箱庭作りたかっただけ?

それでも、あの極端さを笑う気にもなられへんのは、
マイルド愛国がジワジワ来たら、そないに拒否感ないんちゃうかと思うから。
あの動画は、教育基本法を変えた成果を見せるデモンストレーション。
国が庶民をどうしたらコントロール可能になるかということの、
最終進化形があれなんやと思うから。

とりあえず、「先見せして、キモイと思わせてくれて、ありがとう」と言うておく。

橋下兄さんと姉さんな私たち。

フェイクニュースだ!
マスコミは既得権益層だ!
お前には質問させない!

キタ――。既視感キタ――。
デジャブ?デジャブ?
と、ゲー出そうになってる大阪民は私だけではあるまい。

言うとくけどトランプさん、橋下さんは兄さんやで。
橋下さんの方がセンパイやねんから、兄さんって呼んだってや。

で、橋下さん、さっそく兄貴風吹かす吹かす。
まだまだツイッターでも吠えますよ。
いきってインタビューにも答えちゃう。
ポピュリズム上等。
民主主義は多数決。
ハイ、そこはもう、かこさとし先生の「こどものとうひょう おとなのせんきょ」読んでね。
「勝ったもんが全て」は、民主主義ちゃうんやでって、やさしく書いてあるからね。

それにしても、ブルブル。
何かスケールでかいだけに怖いトランプさん。
大阪規模でこの仕上がりやのに世界規模やで。

インテリとか左翼とかが、
にわかに「既得権益層」だの「プロ市民」だの言われだして、
「独裁者が何言うてんねん、マジか、アホか」言うてるうちに、悪役にされんの。
気づいたら、ごくフツーの市民だって標的にされてしもてる。
世界中、景気回復から取り残されて、劣等感や嫉妬やいらだちがつのったら、はけ口が必要やん。
専門家やからってエラそうにすんなよ。素人なめんなよ。
で、根こそぎ「トリセツ」読まんとやってまう。
教育も福祉も例外やないで。
ちょうどあの頃の大阪みたいに。

大阪っていう都市でなされた橋下さんの実験が、
「日本を、取り戻す」の安倍さんを元気づけてる間に、
あちこちから同門の兄さんらが出現して世界規模。
さしずめ大師匠はヒトラーなんかもしれん。

NYタイムズもえらい叩かれてる。
そこは朝日新聞がアドバイスしたりーな。
もはや朝日新聞かて師匠ですやん。
叩かれたからってオロオロしない。
毅然としときや。
うう、反面教師になってたりして…。

てことは、うちら、マドンナよりも姉さんかもしれん。
猫耳キャップより、豹柄デモの方が先やったやん。

不寛容も排外主義も私らは選ばん。
後ろによろめくことなく、手をつなぐ。
橋下さんに投票した人も、トランプに熱狂する人も、
私らと同じ市井の民やから。
ずっと呼びかける。それしかない。
ほんまの収奪に備えようって。

大阪の姉さんとしてのつとめやわな。



専門家の権威と無知の反抗。

武田砂鉄さんが尾木ママのことを書いてる。
あー、私も同じように感じるなぁ。
と思いつつ、かなりせつない。
「今さら尾木ママを問うてみる」(cakes ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜)

尾木さんって、教育評論家としてきちんと発言してきた人やと思う。
だけど、「尾木ママ」以降、専門分野でないことにも、言葉をダダ漏らしちゃうようになった。
それこそデヴィ夫人ばりに。
そんで、ときどき教育分野のことでさえ、裏付けとったのかな?って思うようなこと言っちゃうように。
忙しいの?
ともあれ、専門家「尾木直樹」と、直情的気なうわさ話をする「尾木ママ」は、知と無知の間で揺れ動いてる。

専門家って、自ら裏付けをとったことに責任を持ってるから専門家なんやと思う。
ところが、専門家ってよく裏切る。
薬害エイズの厚生官僚やら安倍教授。
理研の小保方さんたち。
余震が続いてる中で原発GOGOの原子力規制委員会。
思えば、公害裁判でも原爆訴訟でも、結論ありきで原告スルーの専門家もいたし。

地震予知の学会がいかにも権威主義的に見えることも、
マイナンバーや教育改革の波に利権の臭いがすることも、
政治家が不倫したり金に汚かったりすることも、
素人なめとんのか?って思わせる。
日常的に裏切られると、もうグレてやる~!ってなる。
専門家なんかクソくらえ!的な。
(BGM: 放課後~の 窓ガラ~ス 壊してまわった~♪)

だからって、
矢口真理とベッキーはとりあえずたたくとか、
過去の侵略行為はなかったことにしようとか、
保育士の仕事が不満なら勲章をあげようとか(例:安倍首相)、
素人に区長や校長をやらせてみようとか(例:大阪市)・・・
思いつき?

なにかを真摯に分析して裏付けをとるという作業に対する反抗がハンパない。
しかし、ここで気付く。
反抗してる民は、専門家の持つ権威に反抗してるつもりなのに、
「扇動の専門家」が、大はしゃぎで反抗の列に加わっていること。
知をバカにして奪い取ろうとしている権威が、無知な権威に吸いとられていくこと。

デマと無知が勢いづくさまが、70年以上前と同じってのがキョーフ。

情報を誰でも入手できる時代に、厚顔無恥な無知にからめとられる。
そんなん悔しすぎる。
だから、専門家を疑いつつ、反抗しつつ、知識を敬いたい。

とりあえず、尾木ママは、ちゃんと専門性を維持してください。
おねげーします。

「逆に」の人と「要するに」の人。

「逆にこういうことなんすね」「逆によく分かりました」とか言う人がいる。
いや、全然「逆」じゃないし。
むしろ、私がさっき言うたことやし。

一方、「要するにアレなんです」「要するに最初から言いますと…」の人もいる。
いや、全然「要して」ないし。
早く要してくれ~。

双方、単なる口ぐせなんやけど、特徴があったりして…。

「逆に」の人は、相手によって態度を変えたりしないけど、あまりアドバイスも聞いてくれない。
生き方がレジスタンスなのか。
結構損しちゃうタイプかも。

「要するに」の人は、プライドが高い割に権威と理屈に弱いためアドバイスを受け入れてくれやすい。
実際には本人が「要する」ことから遠いってとこに悲哀を感じたりして。

口ぐせっておもしろい。
私の口ぐせは「ま、いいや」と「誰が興味あんねん」。

こわしてし~ま~う~のは 一瞬でで~きるから(熱唱)♪

都構想住民投票の結果が出た。
わずかの差で反対の勝ち。

手持ちカードに差がありすぎたから、正直アカンかもって思った。
「変えたい」vs「変えたくない」って図式に落とし込まれたし。
ほぼ都構想の意義を伝えるための協定書解説ブックは全戸配布、
市長として都構想をアピールするための住民説明会はひっきりなし、
テレビCM、チラシ・・・あれだけの情報拡散能力格差。
意気揚々と「変えましょう!」言うてる人と、
「それは違う!」って反論してる人の、どっちが魅力的に映るか。
都構想の中味をどうこう言う以前のマイナスからのスタート。
なのに、よくやったなぁ、と思うよ。

さっそく、若年層の賛成を、高齢層の反対が押しつぶした的な、世代間対立煽る意見も。
その前に、投票率見よや~。
若者、めっさ投票行ってないや~ん。
「投票行ってない人はみんな賛成やったのに」言うんかいな。
投票も行かへんほど、政治に興味なくしてる事実の方が、よっぽど問題やし。
イメージで誘導しようなんて、ケチな作戦も効かへんほど深い問題。
そらもう、子どもらなんか、なめて軽んじてたらアカン。
サシで話せなアカン相手や。

そんな中、女性の冷静さはすごい。
とくに、私ら世代では、夫は賛成に入れて、妻は反対に入れたパターンも多い計算になる。
私らは、生活の足場から政治を見てるし。
情報格差があっても、オリジナルの判断しようとするし。
怪しい買いもんはせーへんのや。

そして、私の住民投票テーマソング(勝手にw)が流れる。

 こわしてし~ま~う~のは 一瞬でで~きるから♪
 大切に生きてと彼女は泣~いた~♪

あ、古い?

そう、おかんは先の先まで自分らの生活考えて投票すんねんで。
自己満足満開のキモい会見は、キモいって思うねんで。

自動音声電話といきものがかり。

いよいよ大阪都構想住民投票はあさって。

この終盤、びっくりしたのは、維新の自動音声電話作戦。
かかってきた電話取ったら、橋下さんの声で「賛成に!」って一方的な演説を聞かされる。
ぎょぎょぎょ。ホラーやな。

でも、考えてみれば、これってすごい新自由主義チック。
おそらく、これを維新にねじ込んだ業者は、
カラー刷りで円グラフとか比較データとかの入ったプレゼン資料を見せて、
テレマーケティング手法のすごさを数字で示してみせたんやろう。
おー、これは使える!みたいな。

でもこれ、ぜーんぜん電話の受け手(=消費者)に想像力が及んでない。
売り込んだ業者にしてみれば、短期的に売りたい商品ありきで、消費者がほんとに望んでるものなんか見てない。
ニーズに答えると言いつつ、その実、供給側の利益に固執したごり押し。
これまで、橋下さんがやってきた手法とおんなじ。
今度は自分がハメられたのね。

もっとびっくりしたのは、ついこの前、すでに自民党がやってしもてたこと。
佐賀県知事選で、安倍さんの肉声が自動音声で流れてきたらしい(そして負けたらしい)。
う~む。かつての自民党なら、自前のギブテ名簿で票集めぐらいしたやろうに。
「へいへい、わかっとりまんがな。その代わり、あんじょう頼みまっせ」てな感じで。
票田地域で、こまごまとした要望を聞き回り、子孫も込みのgive and take。
古き良き保守って、そんなイメージやん。
ま、既得権益っつったって、立派な住民要求やもん。

だけど今や、つながりに頼る電話作戦そのものが困難なのかも。
それは左右両派ともに。
ギブテ名簿(あるいはつながり名簿?)の消滅の危機か。
だからって、ざっくり有権者名簿で、ゲリラ電話かけるデリカシーのなさも、自動電話に通じるもんがある。
とはいえ、ガチで自動音声となると、そこはもう大飛躍。
要するに、対話無しやからね。
有権者の希望や要望や困りごとの必要度を聞く気がないわけで。
支持基盤がどこにあるのか、誰が何を求めてるのか、知る気もないし、わからんけども、票は欲しい。
で、人のつながりの希薄さを、業者につけ込まれてしまう。
見えるのは、雑なやっつけ仕事で、これまで蓄積してきたつながりまで無にしてしまうという図式。

今朝、「スッキリ!!」見てたら、「いきものがかり」が言うてた。

 聞いてくれる人のための音楽づくりをしています。
 ライブで気をつけていることは、客席からステージがどう見えるか。
 遠い席のお客様にも届くかどうか。
 聞きたいって言ってくれる人がいるから10年後も曲が残っていくわけで。
 喜んでくれてるか、反応を見ながら…、聞いてもらってなんぼですから。

おぉ、王道のマーケティング!
わけわからんデータ使って煙に巻くんじゃなく、生の声から要求をすくい上げて、地道に応えていく。
はったりかまして、その場しのぎするんじゃなく、長もちする方法を提示していく。
これ、自動音声電話の対極やん。

短期的な利益に固執し、数値化できないものの存在を評価する術を知らずに、
蓄積された見えない財産を、ブルドーザーみたいに破壊しながら進む新自由主義。
子孫の世まで思いを馳せることをせず、結果をじっくり待つことなく、急かして煽って、選択を強要してくる政治。

勢いつけて迫ってくる新自由主義に対抗するのはしんどいなぁ…って正直思ってた。
でも、電話のこっち側で、市民は冷静に思ってる。
「っていうか、なんなん、これ」
数値の奥にあるものを見失ってる者どうし、利害でつながる者どうし、おかしなハメあいもする。
なーんや、と思う。

決して油断はせーへんけど。

素人を厨房に立たせてくれるな。

今週末、大阪市では住民投票がある。
大阪都構想の前段階として、大阪市を廃止して、5つの特別区にするかどーか。
宣伝カーから聞こえてくるのは、
「大阪が大きく飛躍するチャンスです~」
「いいえ、住民サービスが削られるだけです~」
どっちに転んでも、禍根を残すこと間違いなし。
イヤな雰囲気の街になるなぁ。

それにしても気になるのは、「ざっくりイメージ宣伝」の応酬。
これ、そもそも維新側が、「アホにモノ言う宣伝」を徹底してるからやと思うけど、
反対派も、できるだけ簡単に「大阪市分割の危機的イメージ」を伝えようとしてる。
でも、反対派は反論なだけに、論理的にならざるをえない分、くどくなるよね~。

『大阪都構想』の危険性を明らかにする学者記者会見
~インフォームド・コンセントに基づく理性的な住民判断の支援に向けて~


これなんて、もう先生たち、気の毒な感じ。
ニコ動で流れてくるコメントのアホさかげんに哀愁を感じた。
だって、やっぱちょっと難しいんやもん。

でも、ちょっと待てよ。
私らって、地方自治や経済の専門家が言うこと、そないに理解せなあかん?
「専門家のほとんどが、都構想の危うさを指摘している」 という事実だけで十分じゃない?

おいしいと評判のレストランで、凝った料理食べた上に、
「これ、何入ってますのん?どない作りますのん?」って聞くかな。
専門性への信頼って、自分の代わりに勉強してくれてることへのリスペクトやんね。
大学の先生でも料理人でも、ものすごい努力して、その道にいてはるわけで。

なのに、おいしい料理は黙って食べるくせに、大学の先生とかには文句言う。
「知識人を揶揄してるオレかっけー!」
「権威にたてついてるオレかっけー!」
という自己満足がにおう、ニコ動のコメント…。
反知性主義って、こういうことね。
「権威」と「専門性」の区別がついてない。

これ、たぶん、学校の先生の「聖職性」の消滅が前段階にあるよね。
うちら団塊2世の学生生活は過酷やったもん。
つめつめ大人数学級、つめこみ教育、生き残り競争。
先生といえば、「権威に弱い専門職の代表」やったやん。
「キレイごと言ってんじゃねー」とか何とか言いつつ、
放課後~ の 窓ガラ~ス 壊してまわった~♪
いや、壊してないけど。
少なくとも、「あいつら信用ならん」という思いは共有したからね。
バブル崩壊で、就職にコケた時点で。
そらもう、「倒すべき権威」=「専門職」の誤解スパイラルでねじ曲がってますわ。
で、ねじ曲がり親分がうちらの市長。

そやから、民間人校長とか公募区長とか、一足飛びに素人ねじ込んで満足してまう。
裸の王様みたいに、無垢な子どもが、「オッサン、それを『畑ちがい』っちゅうねんでー」とか言わへんかったら気ぃつけへん。
頼むから、素人に厨房をまかせてくれるな。

そういう意味では、きょうびのゆとり世代の方が、ずっと冷静かもしれん。
若者よ、役割も仕事もわけわけして、手をとりあって進んでくれ。
私ら大人は、ねじ曲がって、こんがらがった糸ほぐすだけで、どえらい労力つこてます。


「自分推し上等!」と叫べない…。

私は前に出ていくのが苦手だ。
必要以上に人目にさらされたくない。
自分推しの気持ちが萎えるというか、続かないというか…。
常に、ヤナギブソンの「誰がキョーミあんねん!」ってネタにめちゃ共感してまう。

なぜこうなったか、今ならわかる。
子どもの頃から、顔認識が苦手で、他人の識別が他の子より遅れた。
記憶の始まりも遅く、「物ごころついた」のが、小4ぐらい。
故に、あまり他人と自分を比較してこなかった。
で、ある時、比較対象として見られていると気づいてから、すごく焦りだした。
人に注目されて、あれこれ評価されるのが怖かった。
だって、自分は他人を意識しきれてない気がするのに。
そうやって、実はものすごく他人を意識するようになってしまったのかも。

一方で、私は、客観的に目立つ子どもだった。
自分の意見をわりとはっきり言うから。
自分推しが弱いのと、意見がないのとは違う。
意見はいつもあったから。

そして、今、子どもの親になった。
だから、どうしても意見を言わなければならない。
その必要に迫られている。
で、意見を言うと目立つ。
意見を言う人口が少ないからか、「意見を言う人」という需要がある。
いや、私、ちゃうねん…。
ほんまは誰か替わりに言うてほしいねん…。

と、インドア手芸をしながら悶々とする日々。
って、誰がキョーミあんねん。

「昨日の世界」

「昨日の世界」
これ、シュテファン ツヴァイクの自伝であり、遺書。
この作家、「マリー・アントワネット」の伝記書いた人としてしか知らんかったけど。
彼が、映画グランド・ブダペスト・ホテルの登場人物、グスタフさんのモデルと知って、読んでみたくなった本。

グスタフさんは、エレガントでえげつないヨーロッパの個人主義を体現する自由な人。
彼は、何を害したわけでもなく、他人を尊重し、おもてなしに心を砕き、時代を優雅に生きていただけ。
なのに、最終的には、粗野で無粋な軍靴に踏みにじられてしまう。

一方、文化に彩られたヨーロッパを愛し、自由に生きたかったツヴァイク。
ナチスに追われ、故郷オーストリアを失って、この長い遺書を残し、1942年にブラジルで命を絶ったユダヤ人の作家。

世情に疎い上流に生きたことも、
社交的で、世界中に友愛のネットワークを持っていたことも、
政治がキライでほとんど投票にも行かなかったことも、
繊細で、本質を見抜く曇りない目を持っていたことも、
確かにグスタフさんのイメージ。

でも、映画がコメディタッチで軽快なのに比べて、この本は重い。
戦争の終わりを見ずに死んでいったツヴァイクは、この本を、戦争前夜から戦中、ヨーロッパ崩壊の跡として描いてる。
それが、あまりに今と通じることが多すぎて、とても怖いから。

彼は伝記作家なので、客観的事実に基づいて時代を描く。
その上、目撃者ならではの冷静な視点もある。

第一次大戦では負傷者を運ぶ貨物車に乗り合わせ、あまりの惨状に驚く。
ところが、ブダペストに着いてみれば、穏やかで華やいだ日常があり、その落差にも驚く。

文化人として1度目の世界戦争に反対し、平和が来たときの無邪気な達成感。
そして、自伝を書く「今」の彼から見た、その認識の甘さへの悔いも。

ナチス台頭の頃、ならず者で構成されていたはずの突撃隊が、真新しい揃いの服に身を包み、新車を駆り、プロに訓練された軍事力と武器を持っていく様子をリポート。
背後の資金提供者を推測し、ドイツ産業界を名指しする。

ならず者に支配されることなんて起こり得ない、とタカをくくる知識人。
文化的でないことを軽蔑し、侮り、全てを奪い取られるまで現状を直視することを怠った人々。
見えていたのに無力だった自分。

ナチスの自作自演で巧妙に追い詰められる社会民主党。
高みの見物をしていたイギリスの対ナチス政策の失敗。
「防共」という餌に食いつく為政者や上流階級の愚かしさ。
ヒトラー、ムッソリーニ、チェンバレンの力関係に対する的確な分析。

さらに、過激に革命を唱える「主義者」に対する分析も辛辣。
でもこれ、ウケた。
「私は職業的革命家というものの永遠の典型をはっきり見知った。
そういう人物は、単にその立場が反抗的であるというだけで、価値なき自分が高められたと感じ、自分自身の内部に不動の根拠を持っていないために、主義の公式にしがみついているのである。」

本は、青春時代のエピソードや、同時代に生きた作家たちとの交流なども、かなりの分量を占める。
私にとって、この辺りは退屈。
ただし、友人たち(ロマン・ロランやトーマス・マン、リヒャルト・シュトラウスなど)の現代での評価と、ツヴァイクの描写を重ねて読むと、それはそれでおもしろいかも。

そして、最終ページは、彼が死の間際に書いた遺書。
・・・この私の生命にとっては、つねに精神的な仕事が、もっとも純粋な喜びであり、個人の自由が、地上最高の財産であった。友人のみんなに挨拶を送ります!友人たちが、長い夜の後になお曙光を目にすることができますように!私は、この性急すぎる男は、お先にまいります。

ツヴァイクは、あの大戦前、大人気の流行作家だったらしい。
ところが、ナチスドイツやその占領国で発禁作家になった後、彼の原書は焼かれ、多くは復刻されなかった。
もし、彼が生きて戦後を迎えてたら、どんな風にあの戦争を語ったろうと思う。
この本が語る、時代を凝視した言葉は、とても貴重な記録。
だから、もっと記録してほしかった。
せめて、この本が残っていてよかったけども。

「戦争やめよう」って何で言わんの。

パリで、テロに抗議する大規模デモがあった。
映像見て、すごいな~、と思った。
「私はシャルリ」だけでなく、「私はムスリム」や、亡くなった警官の名前を掲げる人も。
みんな「暴力で黙らせる」という手法が嫌なんやな~、と思った。

ところが・・・。
デモに参加してるとおぼしき各国首脳の姿。
ネタニヤフとかサルコジの顏も。
何やのん。キモいやんか。

しかも、これ、後で「やらせ」ってバレてた。
⇒ Paris march: TV wide shots reveal a different perspective on world leaders at largest demonstration in France’s history
デモがええ感じやっただけに、ダサダサ。

何にいちばん違和感があるって、戦争してる国ばっかしやん。
フランスはデモに参加したその足で、イスラム国に空爆行くし。
イスラムの国々だって、暴力による人権侵害が問題になってる首脳が多い。

シャルリ・エブドがどんな雑誌か、
フランスの言論の自由への考え方がどうとか、よう知らん。
フランスにも、きっと言葉の暴力は存在するし、
欧米資本が流布する価値観による抑圧だって存在すると思う。

でも、それと、各国首脳のパフォーマンスの気持ち悪さは別次元。
だって、戦争っていちばん大きな暴力ちゃうん?
「テロに屈しない」と、「言論を守ろう」はイコールじゃない。
少なくとも彼らの「テロに屈しない」は、ときに暴力を使ってでも国として対抗するってこと。
軍や警察を強化し、テロへの動きを取り締まるってことは、同時に国民を見張るってこと。
他国に存在する組織を標的に、暴力を使うのを正当化するってこと。

したり顔で歩く権力ポジションの面々は、テロの背後にある貧困や搾取に、謙虚に向き合うやろうか。
そこんとこ、疑わしいから気持ち悪いねん。

個人の自由を守る闘いと、一緒にするなよ。
個人が抱く「赦し」を汚すなよ。
利用するなよ。



コワイのは、萎縮の自粛スパイラル。

パリで、新聞社がイスラム原理主義者らしき人らに襲われた。
パリの新聞社で銃撃戦に これまでに12人死亡(NHK-WEB 1月8日)

まるごしの会議中の人々を射殺した後、
撃った警察官を、また戻ってさらに撃つ映像。
あまりに残酷で見てられん。
絶対におかしい。こんなやり方。

だけど、各国トップのコメントにも違和感が残る。
安倍首相の「テロには屈しない」(棒読み)はもちろん、
プーチンさんの「かならず厳罰を」も、
ネタニヤフさんの「ほらね、私たちに正当性あるでしょう?」ばりの乗っかり方も。
何がいちばん引っかかるのか。
それは、「私たちは言論の自由を守るのです」という宣言がないから。

イスラム教徒を攻撃してみるとか、
襲われた新聞社の風刺画を批評してみるとか、
国家レベルで危機に備える契機にするとか、
好き勝手に事件を利用しようとせんでほしい。
あさっての方向に矛先向けて攻撃せんでほしい。

国家がやろうが、原理主義集団がやろうが、言論弾圧は暴力。
兵糧攻めや村八分、黙らせる方法はいろいろあるけど、やがて大きな暴力につながる。
直接手をくだすのもあり、ちょっとけしかけるだけもあり。
あの朝日新聞襲撃事件や、
今起きている北星学園大への脅迫も同じ。
派手に脅しがかかれば、あとは委縮と自粛のスパイラルが始まる。
黙らせた後は、総動員で戦争も可能。

品があろうがなかろうが、黙らせることが統制への道。
黙らせることが権力の至上命題。
だから、対峙してるのは、イスラムでも安倍さん個人でもない。
個人を黙らせようとする権力やと思う。
集団の大義に名を借りて、個人の自由を奪うものが相手なんやと思う。

爆笑問題の政治ネタ没でNHK籾井会長「個人に打撃、品性がない」


ひつじ年カレー♪

お風呂カレーをいろいろ試し中のこの頃。
子どもたち、大喜び(*^^)v

新年あけましての羊カレー。
ラム肉じゃないよw

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で、こっちは猫カレー。

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もうちょっと改良の余地がありそうです…。

「しらんけど」の美学。

なにわ女子には、語尾に「しらんけど」をつけて煙に巻くという日常がある。

「朝バナナって身体にええねんて~。しらんけど」
「あそこんち、奥さん出ていかはったらしいで~。しらんけど」
「ガソリンまた上がるらしいで~。しらんけど」

はっきりした理由は不明でも、善意でおススメする健康プチ情報とか、
不確かながら、ちょとした悪意で広めてみたい面白ネタとか、
聞いたのに、詳細を忘れてしまったニュースの一部分とか・・・。
いまいち自信は持てないものの、情報として提供したい事柄に使用する。

「万代で今日玉子99円やで」とか、
「あの2人、結婚してんで」とか、
「明日は雨降るで」とか、
確かなネタには「しらんけど」はつけない。

我ながら、「しらんけど」の多用って責任放棄やな~、と思ってた。
だけど、考えようによっちゃ、けっこう謙虚な乙女心のあらわれなんちゃう?
これ、紅白でのサザンの選曲をめぐって、おっさんらがやいやい批評してるのを見て思った。
うちらやったら、「サザン、よかったな。そないしらんけど」ぐらいの話やで。
だって、サザンの曲、そんなに全部しらんやん。
にわか批評はみっともないし、それこそ無責任やって知ってる。
だから、しらんかったら、「しらんけど」って言うてみる。

「しらんけど」には、「続きはWEBで」的な誘導も含まれる。
「〇○は〇○だ!」と断定せずに余韻を残し、「あとは自分で調べてね」って。
断定を使えば、そこで物語は終わってしまう。
会話はキャッチボール。
なにわ女子は、相手が打ち返せるボールを投げてるんやと思う。
「しらんけど」をつけたら、朝バナナが何で身体にええか、説明してくれる友だちがおるかもしれんやん。
ガソリン価格の話から、ロシア情勢と円安の話に広がるかもしれへんやん。
そんで、会話になったら、理解も深まるやん。

「しらんけど」は、相手を思うから言う。
「しらんけど」は、無責任になりたくないから言う。
で、「しらんけど」は、しょうもないプライド棄てな言われへん。
「しらんけど」って言うてみよう!
クセになるから。

にわか監督のおっさんか。

紅白でのサザンの選曲がよかったとか悪かったとか…。

「比喩的に政権批判するしかないなんてくだらない」
「平和とか言いながら、2曲目がオリンピック応援歌なんてしらける」
「清志郎を見習え」
って、これ、左派からの評論ぶった批判なわけ。
で、これがSNSとかに乗って流れてくるからゲーってなる。
はぃ~?何言うてんの?

だいたい、直球で「○○反対!」言うことが、最も人に伝わる方法やと思ってる?
何かを人に分からせることで満足?
キモ~。ダサ~。
自分が「答え」を持ってると思い込んでて、ハナから押しつける気ぃまんまん。

歌合戦で、想像力をかき立てられる歌詞に出会うなんてええやん。
どんな受け取り方をしようが、ただ想像する機会やん。
歌だって、映画だって、絵画だって、落語だって、受け手にまかせる潔さが粋なんやん。
そんで、そのほうが、何倍も人に何かを伝えるんやん。
その「何か」が、何で「○○でなければならない」ねん。

茶の間の野球観戦で、「そこは交代やがな!」言うてるおっさんやったらええで。
それは批評とちゃうから。
私かて、ワイドショーのコメンテータ―見て、「この人、えらい右に転ばはったなぁ」とか言う。
そら、ただの感想やから。

おもて出ていって批評家ぶるなら、それ相応のレベルが必要。
SNSはちょっとしたおもてやと思うけど?
どうしても政治的見地から批評をしたいなら、情報収集も分析も必要。
科学的ってそーゆうことちゃうん?



愚民だなんて思わないで。

橋下市長が衆院選挙に出るとか出ないとか。
大阪市民としては、出てくれへんかな~。
国政の方が実害が少ないかもな~。
あ、落選っつーパターンがベストやけども。
と、あれこれ想像してみたり、アホらしなってやめたり。

思えば、彼が声高にやり始めて解禁になった「お前だけずるいぞ」式の攻撃の数々。
今までなら、何となく恥ずかしくて言えなかった「ずるい!」というゴネ方が、まるで1つの言論手法みたいに幅をきかせる。

公務員バッシング、生活保護バッシングで始まった、
職場、地域、学校、あらゆるところでの社会的な予算配分に対する「既得権益」って攻撃。
福祉、介護、図書館や市バスみたいな公共サービスも全部、
「利用している人」と「利用していない人」を対立させて、予算カットの方向へ。
交通機関のない地域も、老人の福祉弁当も、十把一絡げ。
教育なんて、教育委員会、教員、保護者、みんなが既得権益者に。
子どもたちも、「できる人」と「できない人」が分けられて、「何で『できる人』の足を引っ張るのか」と。

実は、こんなの新しい手法なんかじゃない。
新自由主義のリーダーたちが、世界中ですでに使ってきたやり方。
だけど、彼はやっぱり一流の分断屋やと思う。

そして、しんどい者どうしが対立する。
「うちもしんどいのに、隣だけ生活保護受けてずるい」
「うちは特養入られへんのに、あの人は何で」
「うちの子はがんばってるのにあの子のせいで」
で、そういう声がどんどん大きく聞こえてくるから焦る。
あげくに、「反橋下!」「ポピュリズムだ!」「愚民だ!」となってまう。
これも、一つの対立の罠。

でも、実際はそれほどでもないんちゃう?
例えば、教育では、「うちの子が損するやん」と思ってる人の声は大きい。
ところが、実は、「うちの子、大丈夫かなぁ。迷惑かけてないかなぁ。」と思ってる人が大半やったりする。
フツーに引け目も感じてるから、声に出さないだけ。
あわよくば勝ち組に入ってほしい、ぐらいは思う。
だけど、わが子がどっかでつまづく可能性があるって、みんな知ってる。

自分だって収入なくなったら生活保護受けるかも。
自分だって老いたら介護が必要かも。
自分だって人生の途中で障がい者になるかも。
そんなの、みんな結構わかってる。

みんなが何かの「既得権益」にあずかってると思うから、引け目に感じて言えなくなるだけ。
誰にも迷惑かけずに己の力だけで生きてます、なんて恥ずかしくて言えない。
申し訳なくて言えない。
いやいや、それ、フツーのことやん。
社会ってそういうもんやん。
って、言える雰囲気になればいいね。
ここに至って、橋下さんがキワモノ度を増すことで、言いやすくなったらいいね。

マイクパフォーマンスが過ぎれば。

韓国ハンギョレ新聞のこのコラムがおもしろかった。

北朝鮮向けビラは朴槿恵の姑息な外交安保カード(2014/11/5)

韓国の保守派は、時々、北朝鮮に向けて「あんたらの国は最悪やで~」というビラをまくらしい。
その保守派というのは、資金面でも政治家がらみで、言うたら日本の右翼みたいな存在。
で、しばらく途絶えてたビラまきを、朴大統領が率先してやろうとしたらしい。
北との緊張が増すことになるのに、なんで?

≪引用・・・
ビラは北朝鮮に飛ばされるが、本当の狙いは米国と中国であると。ビラまきにより南北の緊張局面をある程度持続させた方が、米国と中国という大国に対して気が楽になるという論理だ。≫


なるほど。
つまり、韓国にとっては、北との緊張が飯のタネということなんやね。
この件で、例にあげられてるのは、日本との慰安婦問題。
国内では、元慰安婦のハルモニたちに冷たい朴大統領。
なのに、日本に対しては、すごく強硬姿勢。なんで?


≪引用・・・
何か理由があるはずだ。思い当たることがある。それは慰安婦問題を‘盾’にして韓米日三角軍事同盟に括られることを最大限に遅らせたり、同盟の強度を弱めようとすることだ。米国は韓国政府に日本と手を握って中国を包囲する先頭に立てと要求している。しかし、その要求を黙ってそっくり聞き入れることはできない。中国との貿易規模が米国と日本を合わせた規模より大きいという現実で、そんなことをすれば飯のタネを失ってしまう。 とはいえ米国の話を聞かないフリをするわけにもいかない。 安保で全面的に依存しているのが他でもない米国だからだ。そこで脇の甘い日本を捕まえて噛みついているわけだ。 米国に対しては「日本のせいで一緒にやるのは難しい」と圧迫を避け、中国にはそれなりに努力しているのを見せられる。

 その上、安倍首相は慰安婦問題をきれいに解決できる人物ではない。 安倍首相は失われた20年を取り戻すために、日本社会の極右的エネルギーを最大限に引き上げようとしている。そのような安倍としては、慰安婦など過去の問題について謝ることになれば自身の存立根拠が揺らいでしまう。朴大統領としては、安倍が健在なことがかえって幸いとなる。 慰安婦問題が人道的次元ではなく外交の道具として使われているわけだ。≫

「脇の甘い日本」←ウケる~w

つまり、こういうこと。
中国との貿易は最重要。
だけど、軍事はアメリカがにぎってる。
それは韓国も日本も同じ。

アメリカ
「日米韓の軍事同盟は北朝鮮の脅威があるから大事やで。
 ほんまは、中国を威嚇するためやけどさw」
韓国
「ですよね~。ほら、北とは緊張状態ですよ。
 ね?中国さん、だから仕方ないんです。」
日本
「そうそう。ねー、私ら仲悪いもんねー。
 アメリカさん、中韓と仲良くすんの、ホネ折れるんすわ。
 だから、軍備もいるでしょ?役に立つでしょ?誉めてね。」

というわけで、アメリカと中国に挟まれた2国は、
互いの国で敵対関係を演じて、国内向けにもWin-Win。
とかく小国の民は、「俺らサイコー!俺ら強い!」と思いたい。
ときどき、北朝鮮っつー悪役レスラーも効果的。
で、今んとこ、試合前のマイクパフォーマンス状態。

これ、下手すりゃ危ないことになる。
って、ハンギョレのコラムも言う。
現に、東西冷戦の代理戦争に巻き込まれた韓国では危機感も違う。

だけど、日本だって、あれだけの戦争を体験したやん。
見え見えでも、外交は外交やから、口げんかで収めてる内はまだいい。
その先がコワイ。
ことに、アホなトップがリングに立つとなると…。
ジョー樋口を待てばいいのか、
客席から止めに入る新妻をやればいいのか。
あ、どっちも違う?


原戸籍を追いかけて。

これ、法律事務のぼやきなんす。

例えば、古~い戸籍に載ってる人の現住所が知りたい場合、原戸籍をたどるしかない。
これ、手数料がだいぶかかるのん。
そんなん依頼者が出すんやけど、それでもお役所にムッとするのん。

改製原戸籍は750円(定額為替で送るから別に発行手数料も1枚100円かかる)。
電算化時点の平成改製があって、その前に昭和32年改製がある。
んで、役所の勝手で同じ戸籍を改製してるだけやのに、1個ずつしか出してくれへん。
その間に戸籍を動かしてる場合は、それぞれの地点で除籍になってて、除籍謄本も750円。
最終的には現在戸籍(450円)を取って、戸籍の附票(住民票と同じ値段)を取りたいだけ。
でも、そこにたどりつくまでなんぼほど手数料取りよんねん。

で、電算化以降は、これが解消されるのかもしれん。
でも、これはこれで戸籍から読み取れる情報がぐっと減る。
みんな転籍した原戸籍に10歳の子だけ残ったまま閉鎖されてたら、空襲で行方不明のままなんかなぁ…とか。
筆頭者が女性の原戸籍で〈昭和18年分家で戸籍創出〉の後、〈昭和23年婚姻 夫の氏を称する新戸籍編製〉で子どもも一緒に養子縁組で閉鎖やと、最初の夫の戦死によって婚家を出されて、戦後に子連れ再婚したんやなぁ…とか。
同じ戸籍の中で、飢饉の年に子どもを数人亡くしてたり、
原爆なら、8月6日以降、違う日に次々と亡くなってたりもする。
手書き文字の誤字も訂正も、出生を届け出た人や場所も、何かの手掛かりになる。
これ、電算化されたものでは読まれへんねんなぁ。

戸籍制度って、個人を家に縛ってきたかもしれんけど、客観的に個人を記録してきた方法でもある。
それが何世代も前まで遡れること自体すごい。
天災も戦災もくぐりぬけてきたお役所仕事も深い。
これが、家父長制度のためでもなく、護国のためでもなく、
個人をたどる記録であるために、国の姿勢が問われるなぁ。
こんな重大なデータ、アホな管理せんといてほしいわぁ。

にしても、手数料に「原戸籍たくさん割」をつけるべきちゃう?
そうでないと、これからの世の中、後見開始手続とか遺言執行とか増えんのに。
あ、それ見越して市町村の財源になってるのか…。
世知辛いねぇ。

プロフィール

ゆりひなな

Author:ゆりひなな
おもしろい記事書くために、おもしろい生活できたらええなぁ。その逆でもええけど。

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