いきなり最終進化形を見てしもうた感じ。

あの、国有地を激安ゲットした森友学園。
ちょっとしたゴミのええかげんな処分で8億円値引きって何やーーー。
責任者でーてこーい!(←人生師匠やで)

ほんでもって、あの幼稚園の運動会
アベシュショウ ガンバレ
アベシュショウ ガンバレ
チュウゴク カンコクガ ココロアラタメ・・・
教育勅語暗証とかも、もはや九官鳥状態。
かわいそうな園児たち。
きょぎょぎょ、何のカルトやーーー。

で、どんな教育方針やねん・・・
と、見てみた森友学園籠池校長の「ごあいさつ」がこれ。
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/about/
でででん。

あれ?
「世界の国々の人たちと友人となり、国同士が友好関係を結ぶことは世界平和に寄与する」
ってわりとフツー。
「日本人のDNAの中に『人のために役立つ』という精神が刻み込まれています」
って、ちょいちょい非科学の臭いも醸しつつ、
意外と学校教育っぽい文言。

よう見たらこれ、教育基本法の改正部分にかなり沿ってる。
「公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた」
「伝統を継承し」
「未来を切り拓く」
「豊かな情操と道徳心」

これで、何であんなどぎついことになるんや。
という疑問がわいてくるわけです。

確かに、教育基本法改正からこっち、
「愛国」とか「道徳教育」とか、ジワジワ来てるのはわかる。
保育所でも国旗国歌、厚労省 新指針公表、押し付け懸念も(2017.2.14 共同通信)
みたいな。
教育基本法の改正部分だけが、どんどん肥大していく感じ。

でも、森友のHPだって、まだジワジワ段階のトーンやん。
そやのに、現場ではいきなり最終進化形やっちゃってるわけです。
戦前でででーん。
いや、まだ早いわ。
やるの早いわ。
今やったら教育基本法違反って言われるがな。
もうちょっと、公教育の現場から愛国の風吹かせてからやで。
親学とか広めて、家庭教育も国がにぎってからやで。
前のめってしもうたら逆効果やし。
キモイって言われるし。
洗脳はこっそりやらな。
・・・って、そっち方向の人らかて思てるで。

そもそも、戦前教育のああいう洗脳って、一般国民が対象やったわけです。
フツーの庶民が、あの感じを拒否らない雰囲気作りが大事なわけです。
国のトップは、戦争で儲けなアカンわけで、洗脳とかされてる場合やないわけで。
一方で、歩兵になる国民には洗脳上等なわけで。
とすると、森友学園は歩兵教育やん。
いや~、ほんまの為政者側エリートはあそこに子ども行かせたいと思わんで。
だって、自分の頭で考えへんかったら、庶民をコントロールできひんやん。
もしかして、ただの戦前教育マニアが箱庭作りたかっただけ?

それでも、あの極端さを笑う気にもなられへんのは、
マイルド愛国がジワジワ来たら、そないに拒否感ないんちゃうかと思うから。
あの動画は、教育基本法を変えた成果を見せるデモンストレーション。
国が庶民をどうしたらコントロール可能になるかということの、
最終進化形があれなんやと思うから。

とりあえず、「先見せして、キモイと思わせてくれて、ありがとう」と言うておく。
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「逆に」の人と「要するに」の人。

「逆にこういうことなんすね」「逆によく分かりました」とか言う人がいる。
いや、全然「逆」じゃないし。
むしろ、私がさっき言うたことやし。

一方、「要するにアレなんです」「要するに最初から言いますと…」の人もいる。
いや、全然「要して」ないし。
早く要してくれ~。

双方、単なる口ぐせなんやけど、特徴があったりして…。

「逆に」の人は、相手によって態度を変えたりしないけど、あまりアドバイスも聞いてくれない。
生き方がレジスタンスなのか。
結構損しちゃうタイプかも。

「要するに」の人は、プライドが高い割に権威と理屈に弱いためアドバイスを受け入れてくれやすい。
実際には本人が「要する」ことから遠いってとこに悲哀を感じたりして。

口ぐせっておもしろい。
私の口ぐせは「ま、いいや」と「誰が興味あんねん」。

コワイのは、萎縮の自粛スパイラル。

パリで、新聞社がイスラム原理主義者らしき人らに襲われた。
パリの新聞社で銃撃戦に これまでに12人死亡(NHK-WEB 1月8日)

まるごしの会議中の人々を射殺した後、
撃った警察官を、また戻ってさらに撃つ映像。
あまりに残酷で見てられん。
絶対におかしい。こんなやり方。

だけど、各国トップのコメントにも違和感が残る。
安倍首相の「テロには屈しない」(棒読み)はもちろん、
プーチンさんの「かならず厳罰を」も、
ネタニヤフさんの「ほらね、私たちに正当性あるでしょう?」ばりの乗っかり方も。
何がいちばん引っかかるのか。
それは、「私たちは言論の自由を守るのです」という宣言がないから。

イスラム教徒を攻撃してみるとか、
襲われた新聞社の風刺画を批評してみるとか、
国家レベルで危機に備える契機にするとか、
好き勝手に事件を利用しようとせんでほしい。
あさっての方向に矛先向けて攻撃せんでほしい。

国家がやろうが、原理主義集団がやろうが、言論弾圧は暴力。
兵糧攻めや村八分、黙らせる方法はいろいろあるけど、やがて大きな暴力につながる。
直接手をくだすのもあり、ちょっとけしかけるだけもあり。
あの朝日新聞襲撃事件や、
今起きている北星学園大への脅迫も同じ。
派手に脅しがかかれば、あとは委縮と自粛のスパイラルが始まる。
黙らせた後は、総動員で戦争も可能。

品があろうがなかろうが、黙らせることが統制への道。
黙らせることが権力の至上命題。
だから、対峙してるのは、イスラムでも安倍さん個人でもない。
個人を黙らせようとする権力やと思う。
集団の大義に名を借りて、個人の自由を奪うものが相手なんやと思う。

爆笑問題の政治ネタ没でNHK籾井会長「個人に打撃、品性がない」


「しらんけど」の美学。

なにわ女子には、語尾に「しらんけど」をつけて煙に巻くという日常がある。

「朝バナナって身体にええねんて~。しらんけど」
「あそこんち、奥さん出ていかはったらしいで~。しらんけど」
「ガソリンまた上がるらしいで~。しらんけど」

はっきりした理由は不明でも、善意でおススメする健康プチ情報とか、
不確かながら、ちょとした悪意で広めてみたい面白ネタとか、
聞いたのに、詳細を忘れてしまったニュースの一部分とか・・・。
いまいち自信は持てないものの、情報として提供したい事柄に使用する。

「万代で今日玉子99円やで」とか、
「あの2人、結婚してんで」とか、
「明日は雨降るで」とか、
確かなネタには「しらんけど」はつけない。

我ながら、「しらんけど」の多用って責任放棄やな~、と思ってた。
だけど、考えようによっちゃ、けっこう謙虚な乙女心のあらわれなんちゃう?
これ、紅白でのサザンの選曲をめぐって、おっさんらがやいやい批評してるのを見て思った。
うちらやったら、「サザン、よかったな。そないしらんけど」ぐらいの話やで。
だって、サザンの曲、そんなに全部しらんやん。
にわか批評はみっともないし、それこそ無責任やって知ってる。
だから、しらんかったら、「しらんけど」って言うてみる。

「しらんけど」には、「続きはWEBで」的な誘導も含まれる。
「〇○は〇○だ!」と断定せずに余韻を残し、「あとは自分で調べてね」って。
断定を使えば、そこで物語は終わってしまう。
会話はキャッチボール。
なにわ女子は、相手が打ち返せるボールを投げてるんやと思う。
「しらんけど」をつけたら、朝バナナが何で身体にええか、説明してくれる友だちがおるかもしれんやん。
ガソリン価格の話から、ロシア情勢と円安の話に広がるかもしれへんやん。
そんで、会話になったら、理解も深まるやん。

「しらんけど」は、相手を思うから言う。
「しらんけど」は、無責任になりたくないから言う。
で、「しらんけど」は、しょうもないプライド棄てな言われへん。
「しらんけど」って言うてみよう!
クセになるから。

にわか監督のおっさんか。

紅白でのサザンの選曲がよかったとか悪かったとか…。

「比喩的に政権批判するしかないなんてくだらない」
「平和とか言いながら、2曲目がオリンピック応援歌なんてしらける」
「清志郎を見習え」
って、これ、左派からの評論ぶった批判なわけ。
で、これがSNSとかに乗って流れてくるからゲーってなる。
はぃ~?何言うてんの?

だいたい、直球で「○○反対!」言うことが、最も人に伝わる方法やと思ってる?
何かを人に分からせることで満足?
キモ~。ダサ~。
自分が「答え」を持ってると思い込んでて、ハナから押しつける気ぃまんまん。

歌合戦で、想像力をかき立てられる歌詞に出会うなんてええやん。
どんな受け取り方をしようが、ただ想像する機会やん。
歌だって、映画だって、絵画だって、落語だって、受け手にまかせる潔さが粋なんやん。
そんで、そのほうが、何倍も人に何かを伝えるんやん。
その「何か」が、何で「○○でなければならない」ねん。

茶の間の野球観戦で、「そこは交代やがな!」言うてるおっさんやったらええで。
それは批評とちゃうから。
私かて、ワイドショーのコメンテータ―見て、「この人、えらい右に転ばはったなぁ」とか言う。
そら、ただの感想やから。

おもて出ていって批評家ぶるなら、それ相応のレベルが必要。
SNSはちょっとしたおもてやと思うけど?
どうしても政治的見地から批評をしたいなら、情報収集も分析も必要。
科学的ってそーゆうことちゃうん?



原戸籍を追いかけて。

これ、法律事務のぼやきなんす。

例えば、古~い戸籍に載ってる人の現住所が知りたい場合、原戸籍をたどるしかない。
これ、手数料がだいぶかかるのん。
そんなん依頼者が出すんやけど、それでもお役所にムッとするのん。

改製原戸籍は750円(定額為替で送るから別に発行手数料も1枚100円かかる)。
電算化時点の平成改製があって、その前に昭和32年改製がある。
んで、役所の勝手で同じ戸籍を改製してるだけやのに、1個ずつしか出してくれへん。
その間に戸籍を動かしてる場合は、それぞれの地点で除籍になってて、除籍謄本も750円。
最終的には現在戸籍(450円)を取って、戸籍の附票(住民票と同じ値段)を取りたいだけ。
でも、そこにたどりつくまでなんぼほど手数料取りよんねん。

で、電算化以降は、これが解消されるのかもしれん。
でも、これはこれで戸籍から読み取れる情報がぐっと減る。
みんな転籍した原戸籍に10歳の子だけ残ったまま閉鎖されてたら、空襲で行方不明のままなんかなぁ…とか。
筆頭者が女性の原戸籍で〈昭和18年分家で戸籍創出〉の後、〈昭和23年婚姻 夫の氏を称する新戸籍編製〉で子どもも一緒に養子縁組で閉鎖やと、最初の夫の戦死によって婚家を出されて、戦後に子連れ再婚したんやなぁ…とか。
同じ戸籍の中で、飢饉の年に子どもを数人亡くしてたり、
原爆なら、8月6日以降、違う日に次々と亡くなってたりもする。
手書き文字の誤字も訂正も、出生を届け出た人や場所も、何かの手掛かりになる。
これ、電算化されたものでは読まれへんねんなぁ。

戸籍制度って、個人を家に縛ってきたかもしれんけど、客観的に個人を記録してきた方法でもある。
それが何世代も前まで遡れること自体すごい。
天災も戦災もくぐりぬけてきたお役所仕事も深い。
これが、家父長制度のためでもなく、護国のためでもなく、
個人をたどる記録であるために、国の姿勢が問われるなぁ。
こんな重大なデータ、アホな管理せんといてほしいわぁ。

にしても、手数料に「原戸籍たくさん割」をつけるべきちゃう?
そうでないと、これからの世の中、後見開始手続とか遺言執行とか増えんのに。
あ、それ見越して市町村の財源になってるのか…。
世知辛いねぇ。

盛られちゃったのね。

大阪のひったくりが激減してた件、やっぱし過少報告やってんね~。
だって、急に減る理由、他にないもん。
景気もぜんぜん良うなってないし。
「市長がごりっぱやから、市民も犯罪やめたんかな~」って、
んなわけないやろー。

<大阪府警>刑法犯過少報告 同一犯は「まとめて一件」(毎日新聞7月31日)
橋下氏「僕がプレッシャーかけた」 大阪府警の過少報告(朝日新聞7月31日)

記事読んでて思った。
これ、人間の心理として、めっちゃあるあるや~ん。

たとえば、「路上犯罪」と「いじめ」を置換してみる。

「当時は『返上』が合言葉となり、毎日の発生件数に一喜一憂した。
結果を出さないといけないという雰囲気が府警(←学校)全体に広まった」

「署の刑事課長時代(←〇○小学校の学年主任時代)、
ひったくり(←いじめ)が連続発生し、上司(←校長)に『すみません』と思わず謝った」

「幹部(→府教委)のプレッシャーを感じた部下(→学校)がつじつま合わせに走ったのだろう」

これ、「全国学力テスト」に置き換えてもアリ。
「平均下がるから学校来なくていいよー」とか、
「この子はカウントから外そう」とか、
実際、あっちこっちであったや~ん。

教育だけじゃないよね。
会社の業績報告だって、鉄道や飛行機の軽微な事故だって、
過少もしくは過大報告の動機は、プレッシャー。
ものっそ薄っぺらい成果主義。
子どもの成長に意味ないやん。
企業の健全経営に意味ないやん。
運輸の安全に意味ないやん。
とか、野暮なことは言いっこなしでw
盛って~♪盛って~♪盛られて~盛って~♪
もはや酩酊状態。

盛られた数値に一喜一憂って、うちらもおめでたいねー。

そのうち、「敵艦数隻を撃破せり」とかいう
日本軍の戦況報告みたいに、大本営ぐるみで盛ってくるんちゃう?
むむ、すでに、しこたま盛られてるか…。
「原発は安全です(キリッ)」も盛り盛り情報やし、
「脅威には、集団的自衛権で(キリッ)」も、盛ってる感満載。

いや~、もうオナカいっぱいなんすけど。






「ご存じ山田寺」みたいな。

この間、久しぶりに大規模な野外集会に参加してみた。
特定秘密保護法も集団的自衛権も、もうヤバイからね~。

雨の中、いろんな団体が、それぞれの団体旗を持って、大集結してた。
「いろんな」と言うても、赤とかピンクとかうす桃色とか緑っぽい赤とか、
外から見たジャンルとしては、概ね赤系というか何というか。
だけど、それぞれの団体にしてみれば、「一緒にされたくない!」と思い続けてウン十年。
旗の違いは「主張もカラーも微妙に違うのよ!」の証。エッヘン。

そして、始まったリレー演説は、勇ましいものから説得力のあるものまで「いろいろ」。
う~む、しかし、何もかも「ご存じ」な人々に向かって、
「ご存じのとおり、秘密保護法は・・・」「ご存じのとおり、集団的自衛権は・・・」。
「そーだそーだ!」って、そりゃもう、「ご存じ」なわけで。
この「ご存じぐるぐる」、どうにかならんやろうか。

そういや、こないだ、20年ぶりに飛鳥歴史資料館行ったとき、
これと同じ感覚になったわ~。
あの資料館は、何といっても山田寺推しなのね。
展示といえば、山田寺発掘当時の新聞記事がずらり。
遺構のレプリカやら、出土品やら、なんやかんや。
ところが、もう、1982年の大発見を主張したくてしたくて、
肝心の山田寺の創建年代とか、歴史的背景とか、さっぱりわからんの。
どっかに、生命保険の但し書きぐらいの文字で記載があるんかもしれんけども。
いやあの・・・、私、そんなに山田寺にくわしくないんすけど、
誰か、この寺が何なのか、説明してくれへんかなぁ…、という気弱な私は置き去りの、
「ご存じ山田寺」感が満載。
ああ、山田寺を知らんことって、そんなに罪なことなのぉぉぉ。

という思いを、この大集会に紛れ込んだシロウトはするんじゃなかろうか。
集まる旗がなかったら、迷子みたいになるし、デモの隊列にも入りづらい。
演説の言葉づかいも、デモのお作法も、「ご存じ」のオンパレード。
こうなると、もうマニアやん。
マニア以外お断りやん。

自分の「ご存じ」と、他人の「ご存じ」は違う。
だけど、興味ない人にも、ガンガン知ってもらいたい。
知りたいって人には、がんばって説明したい。
覗いてみようって人はめっちゃウェルカム。
「教えてやる」んじゃなく、人が情報を得るのを手伝いたい。
だって、私にとっては、一大事なんやもん。
一大事って一緒に思える人を、増やしたいもん。

飛鳥資料館には、こんな感想を送ったよ。
「シロウトにもわかるように、シロウトの立場を想像しながら展示を工夫してください」。
よろぴく。エヘ。


「聖職」って何よ。

立て続けにイヤ~な気分になる話がニュースになってる。
まず、何でニュースになってんのかが、もひとつわからんねんけど。

担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意
埼玉新聞 2014年04月11日


公立中学教諭:のど自慢か、授業参観か…年休取り出演
毎日新聞 2014年05月17日 07時07分


いやまぁ、間の悪いときに有休とらなアカンかってんな・・・ぐらいの話やん。
しかも、担任がのど自慢とか、めっちゃウケるやん。

でも、「教師は聖職なのに」ってさ。
ちょっと待てよ。聖職って何さ。
「人を教え導くこと」が聖なる仕事なんやったら、
「教育」そのものが聖職やんか。
1つの側面しか見ないで、個人を責めたてる人らは、
そもそも教師を、聖職者として尊重してるんか。
教え導こうと工夫する教師のオリジナリティーを尊重してるんか。
教師が、個人として人生を充実させながら、子どもたちに向きあうための選択を、
偏狭な同調圧力で封じ込めようとする方が、
そっちの方が、よっぽど聖職を冒涜してると思わんか。

「教育」に対するリスペクトも浅いくせに、
個人を縛りつけるために、「聖職」って言葉を都合よく使う。
消費者気分で、教育を品定めして、教師をツールとして利用する輩にかぎって、
鬼の首とったみたいに失点をあげつらう。
しかも、保護者でも何でもなく、議員やったり有力者やったりさ、
外から、正義ヅラして、直接知りもしない教師を吊るし上げたりする。
もぉー、誰アンタ!
その後、しょんぼり元気のなくなったしくじり先生と、
毎日接して、教えを受けていくのは、他でもない子どもやんか。
そっちは、謝罪させて、うっぷんを晴らすだけで済むやろうけど、
子どもと教師の関わりは、入学式や参観日だけじゃない。
むしろ、平凡な日常こそが、教育の現場やんか。

くだんの教師は、後々子どもに向き合ってリカバリーするチャンスがいっぱいある。
今後、子どもの信頼を得て、子どもを導いていくかもしれん。
その過程こそが教育ちゃうんか。

一方で、校長が覚せい剤で捕まったら、
「子どもにどう説明したらいいのか…」。

「親はどうすれば…」大谷小で保護者説明会 覚せい剤所持容疑で校長逮捕
西日本新聞 2014年05月10日


そらまぁ、ショックやけどさ~。
ここでも「聖職」をはき違えてるで。
どうしようもない校長やけど、そこ隠してどないすんねん。
子どもに聞こえのいいことばっかり吹き込むのが聖なることちゃうやん。
子どもにガチで向き合うこと、そのものが聖なることやんか。
校長が何でアカンかったか、フツーに向き合って説明すればええやん。
個人が聖人かどうかではなく、教育という行為が聖なるものやん。
子どもの学びをなめてもらったら困る。

公教育の理念も忘れて、教育を市場にさらしといて、何が聖職やねん。
どの口が言うねん。
ってか、言うてるやつ、アンタ誰?

愛国なオリンピックってアレですな。

「最悪の五輪だ」「己を恥じろ」 韓国人突撃でプーチン大統領Facebook大荒れ
(J-CASTニュース 2月22日(土)18時27分配信)


もう、このセンス、うちらの国もアレですけど、お隣もアレですよね~(~o~)。
お~、寒々。
キムヨナちゃんがええ言うてんねんから、ええやないの。
誰が4年間がんばって、誰が試合に出たと思てんの。
人のふんどしで相撲とって、人のカツラにいちゃもんつける。みたいな。
はずいわ~。

私も、真央ちゃんに感動した自分を、ちょっと嬉しく思ったよ。
けど、マスコミそろって「感動をありがとう!」ってキモイやろ。
だから、市井の民も恥じらいなく、こぞって「ありがとう!」と叫ぶ。
そんなもん、こっそり思やえーのに、言わずにおれない心理って何?
国民全員でお礼する横並び感がまた「属してるぅ~」って感じ?
しかも「ありがとう!」を押しつけて自己満足って、どんだけ承認欲求強いねん。

何か、こうして見ると、オリンピック選手が、うちらの国の天皇陛下とかぶってくるわ~。
【天皇陛下 80歳の誕生日 記者会見全文】
ずーっと、存在そのものが利用される危機感にさらされ続けてはる。

― 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。―

皇太子さままで。
⇒【皇太子さま 54歳の誕生日】
お気の毒なこってす。

構造としての天皇制をお望みの安倍首相周辺の方々なんかは、
人間としての陛下の言葉なんか、耳フタしてますわな。

ところが、時々、ご本人に褒めてもらおう思て、
米長チックな人が登場するわけで、いやもう、ご迷惑なこってす。

米:「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させます」
天:「強制ではないことが望ましい」
(@04年10月28日 秋の園遊会)

↑ このネタも古なったけど、わたしゃ忘れへんで~w

この類って、今で言えば、明治天皇のどーのこーのの竹田なんとかって人?
いや、あの人は、自分の血が好きなだけか。
う~む、それ言うと、故米長氏も愛国な自分が好きなだけか。ブツブツ。

森元首相の真央ちゃんに対する発言を、
「親戚のおっさんの言うことやから許したって」みたいな意見があったけど。
⇒ もしも、森喜朗元首相が私の「親戚のおじさん」だったら。
これの何がおかしいって、森氏は親戚のおっさんちゃうとこやろ。
森氏は、明らかに国家の手駒としての真央ちゃんと、その周辺に対して苦言を呈してるわけで。
にわか監督気分な親戚のおっさんよりも、そーとー確信的で悪質やん。
オリンピックは国家行事であり、選手は手駒。
そーゆー価値観やもん。

そう考えると、あの人らには天皇陛下もぶっちゃけ手駒やん?
陛下って孤独やわ~。

あ、愛国なオリンピックってアレですな…という話でした。

続・ペテンのベートーベンの話。

どーしてこんなにペテンのベートーベンに惹かれんのか。
あ、そーや。ヅラ話に似てるからや!と気づいた。
カツラかぶってるのがバレちゃったみたいな物悲しい滑稽さ。
これ、バカにする笑いじゃなくて、人間の可笑しさにクスッとなる笑い。
ちょっと落語っぽいなぁ~。
なぜなら、決して他人事じゃない感覚やねん。
自分にも覚えのある、せこい見栄を可視化されてる感じ。
しかも、そういう見栄は人生のエッセンスであって、決して否定されるべきものじゃない。
恥ずかしくなる自分が面白いのん。

うちのかーちゃんも抗ガン剤で髪の毛ぬけてしもて、
カツラかぶってたけども、それとは違うねん。
その場合は、人工的にマイナスになったのをゼロに戻す作業。
そこに面白さはない。

面白いのは、自然に禿げてんのに、のっけてしまおうっていう心理。
ゼロからプラスにしたいあまり、過剰になってることに気づかない。
胸ポケットに赤いバラ刺してるみたいなやりすぎ感。
しかも、クオリティがある程度低い方が面白い。
ええカツラやと、女性用もそうやけど、もはやファッションになる。
やりすぎかどうかは、調和の問題でもあるから。
ただ、のせてみようと思う心境は、やっぱりおもしろいもんやけど。
というわけで、新幹線よりも機関車が味わい深い。
やりすぎたい動機の真剣さと、品質の釣り合わなさ加減が哀愁を帯びるから。
とはいえ、あまりにバレバレのをのっけてる場合は、哀愁度が下がるから難しい。

だから、旧石器捏造事件とか、ニセiPS細胞手術の学者とか、
そ、そのクオリティでえーのか?という話は、
ある時期まではペテンとして成功していても、最後のお粗末さに哀愁度が下がる。

しかし、今回のペテンベートーベンは絶妙のバランスで物悲しい。
だいいち、曲はホンモノの作曲家が作っていて、けっこう隙がない。
なのに、ペテン師自身はあまりに過剰。
生みの苦しみに悶絶するベートーベンなんて、すごすぎる。
のっけてる物語も誰が見てもやりすぎ。
なのに、多くの人が騙されたりして。
その「騙された!」っていうウブな感覚が、
のっけてるって気づかれてることに気づいてないヅラな人とかぶる。
あ、かぶるって言葉がかぶってる。
ともかく、この場合、ヅラかぶってるのはペテン師の方ではなく、なぜか私らの方。
まるで合わせ鏡のよう。
突然ヅラをとられて、あわあわしてるのは、私らの方やの。

なんとなく象徴的な人間の業を覗く気がして、
しかも、手っ取り早く覗ける気がして、興味津々になってしまった。
しかし、自分でこうして整理してしまうと、ちょっとスッキリした。
いや、こんなの読ませてすんません。

明日、都知事選のみなさんは、がんばって投票に行ってください。
よろしくお願いします。

ペテンのベートーベンの話。

作曲家がベートーベンやなくてペテンやった話。
これ、知らん人やのに、何でこんなに恥ずかしい気分になるんかなぁ。
自分が騙されたわけじゃないけど何か恥ずい。
耳が聞こえへんとか、HIROSHIMAとか、被災地支援とか、
まさかそんなんを利用するわけない!っちゅう純情のやり場に困るわけね。
いや、当人らは利用する気まんまんやったやろうし、
NHKはじめメディア側も、あざとく荷担したんやろうけど。
もう、あざとさ満開。ぐへ。
対する純情の、あまりの軽さに赤面してまうんやね。

食品偽装と似てるかもな~。
付加価値なしでホンモノを見分ける自信のなさ故に逆ギレ、みたいな。
いっそ逆ギレするほど厚顔になれたらスッキリするけどさ~。

選挙にも似てるかも~。
聞こえのええこと言われて、勢い込んで投票してみたら、
めっちゃペテンやった、とか。
まさか、そんなにも浅い奴とは思わんかってん・・・なんて、
勢い込んだ自分の純情の軽さに赤面やね。
そんな騙されノリでエセ民主主義が暴走やもん。
被害者ヅラしてる場合ちゃうで。いやほんまに。

騙されへんためには、自分の目ぇでしっかり見極めるチカラがいるよなぁ。
ええ曲、おいしい店、ええ政治家・・・。
付加価値とかノリとか風とか、んなもんにいちいち右往左往すんのイヤやん。
この後味の悪さ、イヤやん。

ありがとうベートーベン。
勉強になったわ。


「餅は餅屋」ちゃうんか?

市民感覚が大事。
保護者の意見を反映する。
民間人を入れて刷新!
とか何とか言うて、素人を現場にねじこむのが流行ってる。

元なんちゃらアドバイザーの民間人校長とか民間人区長。
現役なんちゃらマネジメントとかの教育委員。
子育てしたことありますレベルの保育ママ。
なぜか当選してしまった裁判員・・・。

確かに、学校にはイラっとすること多い。
「子どもの身になれ」「親の身になれ」とは思う。
「現に保育所足りてないんやから贅沢言うなよ」的な空気もある。
はたまた凶悪犯罪の判決が甘く感じることもある。
根っこには、それぞれの現場に対する不満があるわけで、
「おいおい、んなこた素人でもわかってるぞ」みたいな、
野球観戦してるおっさんが全員監督化する、みたいな現象か。

しかし、その解決策が「素人ねじこむ」でええんか?
市井の感覚とずれてるっちゅう認識があるなら、
この情報社会、なんぼでもリサーチできるやろ?
だいたい、市民感覚ってひとくちに言うても、みんな利害が違う。

そんで、ねじこんだ「素人」が、
タブレット万歳型教育改革に暴走してみたりする。
いじめを起こすような学校は吊るさなアカンとか、
学力テストの点数で優劣つけて何が悪いねんとか、
教育の専門家が、思いもよらん(っつーか言うたらアカン)言説が幅を利かす。
「うちの子はこうやって育てた」で保育やられた日にゃ、
おちおち働いてられへんし、
「オレの感覚ではこれは許せん」で量刑決まるなら、
被告人にしてみりゃ裁判もバクチ。

専門家は、そーゆうことがないように専門に勉強してるんちゃうん?

政治主導の教育改革~?
はぁ~?専門家でもないもんがしゃしゃり出て、
うちらに何の得があるん?
いや、待てよ。やっぱ、これってわざとやん?
巧妙なんは、素人を騙る権力の代弁者。
素人のふりした「何かの玄人」が、
「その道の玄人」が守っていたモノをぶち壊す。

「意見を聞く」ことと引き換えにされるのは自己責任。
それも、少数者の意見ではなく、ざっくり多数意見と引き換えの、
選んだアンタらの責任。
報道のされ方ひとつで、宝物がガラクタに、ガラクタが宝物に見える。
「あいつは悪もんや!」で悪もんが決まる。
そんな危うい選択するんはごめんやわ。

専門家、カムバーック!!

学校、制服、クーポン、貧困。

「踊る!さんま御殿!!」でアンミカが子どもの頃の貧乏話をしてた。
アンミカと言えば鶴橋の子で、確か私と同学年。
いやまぁ、私は東成区やし、近くで同学年やったんやなぁ・・・くらいの認知度やった。
それが、聞けば聞くほど壮絶な貧乏ぶり!
中でも、明け方に鶴橋から3駅歩いて、平野の青果市場まで行き、
傷んだ果物をもらってきて食べてたという話はすごかった。
貧乏話も、それ乗り越えて今がある人が話せば、笑いどころも満載。
うちのかーちゃん、ちょっとヘンやったけど、故にネタがいっぱいあるのと同じでw

でも、近くで小学生やってたのに、そんなにも貧乏な家庭があるって知らんかった。
学校では在日の友だちが多かったし、
平野川越えた朝鮮部落には、貧しい暮らしがあるって大人から聞いてたのに。
なんでやろう。

思い返せば、小学校でみんなが制服着てたからかも。
私の住んでた町なら、貧困家庭の子も多くいたはず。
それでも、一応みんな同じ服着てたし、給食食べて元気にしてた。
放課後、どうしてたかは知らんけども。

少なくとも、大阪市内のあの辺の学校にとって、
制服と給食は、ものすごく重要なツールやったと思う。
ただでさえ、大人には差別意識がうずまいてるような地域にあって、
汚れ具合の差はあっても、同じ形のものを着てるあの安心感。
制服なら修学援助が使えるし、譲り受けやすい。
子どもやった私は、同じ服を着た子と、ただ遊んで楽しかった。

制服を、個性の圧殺や統制の手段として嫌う人も多い。
朝鮮学校なら、民族のアイデンティティを示すツールでもある。
でも、もっともっとそれ以前の、公教育の機会均等を思えば、
みんなと同じように服を着て、
みんなと同じように給食を食べて、
みんなと同じような教育を受ける。
それが、子どもの権利やったりする。
「服装でもっと自己主張したい!」って話は、
ここの最低限が守られてから成立する話のような気がする。

「地域間格差に目をつぶるのではなく、
積極的に公開して、保護者に選択してもらう。」
橋下市長は、こういう主張して、学校選択制を導入した。
確かに、大阪にはしんどい地域も多い。
そんなこと、その周辺に住んでるもんならみんな知ってる。
学校は、そんな地域の子どもたちを守る最後の砦やったはず。

塾代を補助するクーポンは配る。
でも、公教育に金はかけない。
塾代1万円クーポン、大阪市全域に 利用者広がるか(朝日2013年11月30日)
これで、本気で同じ土俵に乗せたと思ってるんやろうか。
この子たちにとって、学校だけでも「やっとのこと」。
その学校にいられる貴重な時間に、なんで充実した教育をせんのか。
なんで向き合ってやれる先生を確保せんのか。

私らの地域では、
制服が、みんなと同じように学校に通えるためにあったと思う。
公教育は、この最低限の衣服と同じ。
学校こそが、教育を受ける権利を保障する場所ちゃうん?

「産んでくれと頼んだ覚えはない」の正当性。

韓国ドラマ見てると、李朝の王様も現代の若者も、
ほんとに酷い親に翻弄されてよく嘆いてる。
で、もれなく「親を敬うことができない自分」に苦悩する。
親サイコー!親ソンケー!って何で?
とか、作り手もモヤモヤしてるからこそ、そんなドラマができるんやろけどさ。

あー、儒教の国は大変や…と、自国を見わたしてみると、
ありますあります、ここにもあります。
たとえば、THE親学関連の親守詩(親守詩埼玉大会のページ参照)

 ・ありがたさ 五七五では おさまらない

こんな感じのを子どもに作ってもらうのね。

で、これは、親子やりとりバージョン。
前半が子どもで後半が親。

 ・遠くの地 一人がんばる父恋し
    長男坊よ 家族任せた
 ・今の恩 大人になったら 返します
    その時までは まかせておいて

いやもう、子どもの口こじ開けて「ありがたいってゆえ~!」みたいな。
中にはほのぼのする詩もあるんやけどね。
そもそも、こういうイベントをやらかすマインドがキモイわけ。

「産んでくれって頼んだ覚えないし」って言いましたとも。中学のとき。
そもそも、人間がいつか死ぬって知ったとき、
まず、「えーー!じゃあ何で産むのよー。やめてよー」って思うよね?
死の恐怖は、生命を与えた者の、いわば原罪やと私は思う。
そんで、親も世の中も理不尽やったりすると、生まれたことは怒りに変わる。

なぜ、統治する側に儒教が必要やったのか、
あるいは今、親学のよーなものが必要とされるのか。
それは、原罪を覆い隠して、子どもを黙らせるため。
産んでくれたから親がありがたい、なんて本当は何の根拠もない。
この世がすばらしくなければ、その恩着せがましさは成立しない。
親たちは、それがバレるのがコワイのね。
子どもをコントロール下に置かなければ、反乱を起こすかもしれない。
権威や欲望にまみれた親の社会にとって、秩序こそが保身のカナメ。
家父長制とは、統治に便利な親の手法。

生活保護くれって言う前に、子どもを捜せって?
親の恩に報いるのは、子どもの努めやって?(←by片山さつき)
ようわからんまま親戚中丸め込まれて、貧困がぐるぐる輪廻してくれちゃう、
なんて便利な手法やろう!

で、そんな私も、親チームに入った。
とたんに「産んでくれって頼んでない」の正当性を失った。
いつ、この正当性を失うかは、個人差があると思う。
愛する人と出会ったとき、子どもを持ったとき、人生が楽しいとき…。
でも、一生、思い続ける人がいても当然と思う。
私は、子どもを産むことで罪を負い、人生を肯定した。というわけ。

だから、「親を敬え」なんて口が裂けても言えん。
なんやったら「産んでしもてごめんな」って思い続けてる。
先に生まれた他人の子どもたちが生きづらそうにしてるのを見るとき、
子どもが生きる未来の社会を想像するとき、
生きることを課してしまった自分の罪を思う。
そして、今思えば、私の親はきっとそんな思いを抱きながら私を育ててた。
私は、親を親やから尊敬してるんじゃない。
産んでくれたから愛してるんじゃない。

私には、子どもの人生に重い責任がある。
彼らが人生を愛せるような、そんな社会を残さなアカン。
子どもにスマナイと思うから、
子どものおかげで人生を愛することができたから。


国の秘密を告発するドラマ。

韓国KBSTVでリアルタイム視聴したドラマ「상어・サンオ」
(→「ハングルはじめました♪」)。
邦題は「サメ~愛の黙示録~」(←なんやろう、このセンス…)。
意外にも深い内容のドラマやった。
キム・ナムギル主演の復讐劇。かと思いきや、過去史告発が絡む。
関係ないけど、김남길(キムナムギル)って、
삼겹살(サムギョプサル)と文字の雰囲気似てるよね~。

12年前に起きた殺人事件をめぐって、主人公は復讐を企てる。
でも実は、その殺人事件は1980年代の学生弾圧に関係してて、
さらに、1950年代の良民虐殺事件が発端になってる・・・という展開。
韓国の過去史。
ドラマでは地名だけ出てきたので、そこから調べてみた。

ひとつは、おそらく居昌(コチャン)事件
朝鮮戦争のさなか1951年に起こった、軍による良民虐殺。
ドラマでは、この虐殺を担った人物が、
別人になりすまして戦後を生き、その事実を隠すために新たな殺人を犯す。

もうひとつは、軍事政権下の「南営洞」拷問捜査(1985年)。
KCIAが作った南営洞の対共分室で、多くの学生運動指導者らが拷問された。
殺された学生もたくさんいたらしい。
韓国は、80年代も軍政下やったんやね。
ドラマで、虐殺者である老人の手先となって、新たな殺人を担うのは、
元拷問捜査官であり、被害者は元学生やったりする。

居昌事件の頃、朝鮮全土で大虐殺が起こったらしい。
朝鮮戦争の混乱時とはいえ、済州島4・3事件保導連盟事件も、
被害者は、おそらくほとんどが思想的背景のない人。
北の脅威を理由に、突然やってきた軍隊に、根こそぎ殺された。
自国の軍隊に殺された。

ようやく、光州民主化運動やその後の学生運動を担った世代が、
経済を動かす中心世代になって、モノ申せるポジションにいるのかもしれん。
このドラマの監督はその世代。
だけど、盧武鉉大統領が去って、保守政権が続く今、
過去史を問うことが、どれだけ勇気のいることか、と思う。

軍事政権は、長らく軍隊の過ちを認めずにいたし、
被害者を弾圧し続けることで、黙らせてきた。
今も、告発を妨害する勢力は大きいと聞く。
私は子どもの頃、おじいさんがみんな怖かった。
戦争に行って人を殺したかもしれないと思うだけで。
韓国では、今もまだ、その生々しい感覚が生きている。
なのに、若者は、自国の過去を知らない。

情報に蓋をするって、こういうことやなぁ、と思う。
情報をコントロールして、知る権利を奪うことで、
大虐殺さえもなかったことにできてしまう。
コントロールをかいくぐって告発しようとする人々がもがき苦しんで、
映画やドラマや小説が、その告発を必死で支えようとする。
日本だって人ごとじゃないよね?
「秘密保護法」がどういうものか、自国の歴史が語ってるのに。
中国や北朝鮮を見れば、わかるやろうに。
権力は何のために秘密にするのか。
明らかにすることで、コントロールできなくなるのを怖れるから。

ドラマ「상어」で、虐殺を隠して生きてきた老人は、
自分は敗者ではないと、牢の中で笑う。
そして主人公は、歴史告発に財産を託して去る。
果たして、世の中が、告発の地道さに耐えられるのか、
人々が、知るべき情報を引き寄せようとするのか、
希望と不安が入り交じったままのラスト。

いったん秘密にしてしまえば、告発の労力は膨大になる。
日本もまた同じ道を行こうとする。
最初から秘密にさせない。それが大事やのに。

そら偽装もするで的な。

「食材、表示と違ってました~」って告白が大流行り。
「わざとやないねん」って言う割に、ぜーんぶ安いもんを高いもんと誤表記。
阪急阪神ホテルなんか、めっちゃたたかれてたけど、
後はもう雪崩のごとく。
「今、言うといたら薄れるで」的な。

ほんで、楽天は優勝セールの割引偽装。

これねぇ、薄々みんな気づいてたよね。
この金額でバイキングやってて、芝エビとかキャビア使えるわけないって。
シュークリーム1個1200円を77%引きって、そんなアホなって。
関西人やからか、「うわぁ、えげつない盛り方やな」と思いはしても、
高級やと信じてたのに騙された!っていう感想はない。

一連の報道で、いちばんに思い出したのは、
ミートホープ社長の名言。
あのミンチとかの牛肉偽装事件ね。
「販売店も悪いし、半額セールで(冷凍食品を)喜んで買う消費者にも問題がある」
なんか、消費者としてはみじめな気持ちになったもんや。
だって、安いときに冷凍食品買うもん。

問題は、この嘘つき流行りが、構造的に生み出されること。
新自由主義経済のなりふりかまわん競争は、
もはや消費者に誠実であろうとする商売を許さない。
競争に都合の良い規制緩和は、私らを嘘から守る砦をなくすやろう。
TPPは、きっとこの嘘つき流行りを加速させる。
この手の嘘は、食品や小売にとどまらず、医療や教育にも及ぶかも。
飛行機は安全を犠牲にし、医療は地獄の沙汰も金しだい。
金払いの悪い家の子どもには、それなりの質の教育があてがわれ、
「消費者にも問題がある」と言われちゃって、しょぼんとするしかない。

いやまぁ、嘘といえば、こんなんもあったし。
公約
あたしゃ忘れへんで~~。

誰が放射能汚染が「完全にブロックされてる」って信じてる?
こうなったら、嘘ついたもん勝ち。

憲法24条について考えた。

憲法24条を考えるイベントに出る機会があった。
で、24条をあらためて考えてみた。
条文なんて、読むことないもんね~。
おおお、こんなええこと書いてあるんやん。
何しろ、この条文、「個」の主体性を大事にしようぜ!という心意気が感じられる。

●現行憲法 第24条
1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

ふむふむ。
ほんで、自民党はどない変えようとしてるかと言うと…。

●自民党草案 第24条
1.家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。
2.婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

か、か、家族はーー?
単位が家族?
ここにびっくりした。
主語を家族にするだけで、「個」の尊重が台無しやん。
日本語っておとろしー。

この押しつけがましさ、どっかで見た。
伝統的子育て、父性と母性の役割、家制度の存続と結婚の意義…。
そう、親学!!でででん!
どないしても、戦前の家父長制を復活したい人たちがいてはるのね。
「おとーさんが一番エライ!」とか言うてもらわんかったら、モチベーション上がらへん?
「個」がそれぞれの力を発揮して、豊かな社会を造っていくことが、そないにコワイ?

ほんで、この人らはこんなこと言い出すわけです。

「家族制度を守れるのか」 婚外子相続の民法改正、自民から慎重論噴出

いやいやいや、これ、子どもの権利の問題やから。
本妻として納得いかんとか、そーゆう話やったら、
オッサンが生きてるうちに裁判して、オッサンからぶんどってんか。
あるいは、婚姻契約を侵害された言うて、相手の女性と闘ってんか。
子どもは、生まれてきた時点で、「個」別に権利を持った人間やからね。
付属物とちゃうからね。
そこんとこ、わかってね。

いや~、
昔から「聖母(マドンナ)たちのララバイ」をキモイ歌詞やなぁ、と思ってたけど、
 (⇒「聖母たちのララバイ」と日本型福祉社会構想 参照)
家族制度とかって、男のロマンよね~。
その頭でグローバル社会って、笑ろてまうでw

ほんで、こんなカルトを布教して、
老人介護も、生活保護切りのための親族調査も、子どもの教育も、
家族っちゅう単位の自己責任にする作戦?
そんなせこい了見で、この社会が持続可能やと本気で思うわけ?

言うとくけど、私は「個」として自由にふるまう。
多くの犠牲の上に獲得したその自由を、愛おしく思ってる人は少なくないんやで。


ドキュメント「みんなの学校」

関西テレビのザ・ドキュメント「みんなの学校」を再び見る機会があった。
大阪市立南住吉大空小学校の1年をていねいに追ったドキュメンタリー。

「すべてのこどもに、学校での居場所を作りたい」という校長先生。
特別支援の対象となるこどもたちが、多く通う小学校。
いろんな子が同じ教室で学ぶ、いわゆるインクルーシブ教育の実践。

実を言うと、最初、この校長先生のリーダーシップが鼻についた。
「うちの子ら」「うちの学校」という表現に、
自分の理想を囲い込んでるような印象を受けた。
子どもらに対しての態度が的確すぎるのも、
他の先生よりも出張ってしまうのも、ちょっと気持ち悪かった。

だけど、子どもたちは、全く作った表情じゃなくって、
泣いたり怒ったり笑ったり、校長先生にも先生にも地域の人にも、
コロコロとなついて、わがままもやってる。
大人に押しつけられたからではなく、子ども自身が自然なこととして、
障がいのある子も、問題をかかえてる子も、
それが「特別な何か」というとらえ方ではなく、
その子の一部分だという受け入れ方をしている。
ああ、インクルーシブ教育って子どもが自分らで作るんやなぁ。
大人は環境を整えて、居場所を作るだけ。

私の猜疑心の元は、先生=デリカシーがない、という思い。
そこに居るから、という理由で何かを負わされるのはしんどい。
子どもの頃、そこに居ても居場所にはなっていない学校で、
役割を演じようと近づいてくる先生の押しつけがましさがイヤやった。

受けた同和教育の影響もある。
小学校の道徳で「差別してる自分を自覚せなアカン」と言われた。
でも、被差別部落の子のアイデンティティは、「部落の子」一色なんかじゃない。
それは、ひとつの事実ではあっても、子どもにとっては情報の一部でしかない。
その子のまるごと全部とつきあっているのに、一部だけ取り出せとはどういうことか。
障がいのある子もそう。
自分と違いはある。それをマイナスととらえてるのは大人の方やん?
違いを認識することが差別ではないはず。
みんな手をつないでゴールすることが平等ではないはず。

大人になってからわかったことがある。
居場所は人をしばるけども、楽にもする。
孤独な子育てよりも、周囲とつながって居心地のいい場所をつくる方が楽。
学校が本当に子どもらの居場所になるなら、子どもらだってきっと楽になる。
そして、大人にできるのは、押しつけることではなく、整えて助けること。

子どもは、自分を受け入れてもらいながら自己肯定する力をつけていく。
自分を肯定することで、他者との違いを認識し、他者も肯定することができる。
ある場面で、勉強のできる子ができない子に「できてない」と指摘したとき、
先生は「指摘するんやったら、教えたりーな」と言うてた。
できる子は、「その手があったか」と思ったみたい。
できる彼の力は、教えながら頑丈になっていくと思う。
いろんな子がいて、学びのスピードに違いがあるから、学力が低下するんじゃない。
むしろ逆やと思う。
だけど、それぞれに伸びようとしている力に、先生が気付ける態勢がない。
その点、この学校は、インクルーシブを推進することによる加配人員をうまく使ってる。
その条件が前提やけど、その上で、一丸となって子どもの成長を見逃すまいとしてる。
教育にたずさわる大人はみんな、テストの点数に想像力を奪われて、
子どもを信頼せずに、子どものせいにして、子どもを分断しないでほしい。と思った。

大空小学校の子どもたちが、あの学校に居場所を見つけられたことは、
きっと彼らの生きていく力になる。
この先進む中学や高校が、居心地のいい場所でなかったとしても。
一度でも、まるごと受け止めてもらった経験は、彼らを支えていくやろう。
私が怪しんだ校長先生は、やっぱり教育のプロなんやなぁと思った。
子どもに向かう誠実さから、「誰も取りこぼさない覚悟」を感じた。

いじめ問題を考えてみた。

いじめを考えるシンポジウムに行ってきた。
いじめられ体験がまだ生々しい若い子3人が、
自分のケースやいじめ防止対策に求めることなどを語った。

→【いじめにマニュアル対応しないで 大阪、3人が体験訴え】
 朝日新聞2013年10月6日


いじめ防止対策推進法が9月28日に施行されたけども・・・。
そりゃあね、「責任の所在」ってもんを明確にすることによって、
問題が起きたとき、あるいは問題が起きそうなときに、
誰がどう対処すればいいか、スムーズに決まるってのは大事と思う。
でもさ、これ読むと、そればっかし言うてる気がする。
肝心の対策は各主体(学校など)にまかせられる。
相談できる場所の確保や、専門の人材育成。うんうん。
道徳教育、ネット対策、啓発活動、警察との連携、うううーん??
まるまる「責任の所在」から入ってる?
何、この違和感。


シンポジウムで1人の子が言うてた。
いじめられていることを先生に相談したら、
クラスみんなの前で「いじめてる者は名乗り出なさい」「先生は悲しい」をやられた。
ああ、この先生のデリカシーのなさ・・・。
むっちゃ想像できるやん・・・。

スクールカーストが存在するってことも。
勉強やスポーツのできる子、そのとりまき、
とりまき以外、おとなしい・明るくない子。
下に行くほど、いじめられやすく、発言権もないって。

ほんとは子どもって、雑多なものを受け入れる素地があると思う。
パソコンに詳しいとか、蟻の生態に詳しいとか、親切とか、力持ちとか・・・。
かんしゃく持ちとか、正義感強すぎるとか、もじもじ屋さんとか、
マイナスっぽいことだって、そのまま受け入れたりする。
相手をまるごとで認識して、
その上で、子どもどうし揉んで揉まれて、加減を知っていく。
押したり引いたり、折り合いをつけたり、そういう力をつけていくんやと思う。

だけど、大人が、テストの点数を重視し、勝てるクラブを重視したら、
その価値基準が他のものより上に位置づけられる。
忙しすぎる先生が、クラスを引っ張る子へのありがたみを態度に出せば、
「リーダー」と「ザコ」みたいなラベルができてしまう。
数字でもラベルでもない、1人1人の子の特徴が、あっという間に雑に扱われる。

最近まで子どもだった彼らの話を聞いて思った。
根が深すぎる・・・。
いじめが止まらないのは、他者への想像力がなくなってるから。
先生も加害生徒も、いじめられる子に寄り添う想像力を持たないから。
デリカシーのない先生も、いじめたことを忘れて大人になる生徒も、
そういう意味では、同じなんやと思う。

で、怖ろしいことに、これって実社会と全く同じ。
ブラック企業で互いに分断されながら働く若い子は、
スクールカーストの次に、実社会のカーストに組み込まれただけ。
「生活保護費もらいすぎ」「公務員はずるい」
「在日のくせにのさばるな」「女のくせに生意気な」
みんな他者への想像力が欠けたまま、ため込んだストレスのはけ口を求めてる。
すごく虚しい。

政治が未来への不安をなくすこと。
企業が労働者の尊厳を守ること。
教育委員会が先生を尊重すること。
先生が生徒に向き合うこと。

全部つながってることに見えた。

プロフィール

ゆりひなな

Author:ゆりひなな
おもしろい記事書くために、おもしろい生活できたらええなぁ。その逆でもええけど。

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