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「メディアが沈黙する日」

都議選で大勝ちした都民ファースト新代表が、
スーパー右翼という悲報はともかく、
菅官房長官の開き直り会見にはウンザリです。

 安倍さんの「こんな人たち」発言を
 何で有権者を軽視してないと思うの?
 問題ないと思う その理由は?
 と問う記者に、「ないからです」

小3でも「ないからないねん」「しらんからしらんねん」は、
アホ回答やと知ってる。

 加計学園問題、説明責任を果たしてないのでは?
 と問う記者に、「自分自身が納得してないからってしつこく質問するな」

もうね、目の前の記者への憎しみがダダ漏れ。
いやいやいや、目の前の納得してない記者の後ろにウチらがおるんやで。
と、テレビのこっち側で言うてみても 聞こえてないな、こりゃ。
そういや、会見で記者を怒鳴りつけた大臣もいたし、
都議選惨敗をメディアの偏向報道のせいやと言うた大臣も。

権力者が、おおっぴらにメディアを攻撃しはじめたのはいつ頃からやろう。
トランプは、何であんなに自信満々に幼稚でいられるんやろう。
安倍さんは、何であんなに自分への批判は中傷やと思いこむんやろう。

なんて思いつつ、Netflixでこんなドキュメンタリーを見た。
「メディアが沈黙する日」(2017米 ブライアン・ナッペンバーガー)

プロレスのハルク・ホーガンが、ネットメディアGawkerを訴えて大勝した裁判。
驚きは、この裁判でハルクを金銭的に支援してたのが、Gawkerを潰したいと考えていた大富豪ピーター・ティールだったこと。
案の定、Gawkerは会社も代表者も破産に追い込まれる。
ピーターは、「Gawkerの報道に個人的に怒ってたからやった」と開き直り。
この人、低所得者支援団体の活動を妨害したり、
「ゴミのような連中は処分したらいい」てな発言をするアレな人やけど、超金持ち。
ハルクのしょうもないSEXビデオの流出なんか、ほんとはどうでもよくて、
これによって、「権力者に睨まれたメディアは酷い目にあう」という手法が確立されてしまった。

さらに、ラスベガスの有力地方紙が買収された顛末。
買収は投資家集団によってなされたと思いきや、
ウラで糸引いてたのは、トランプとも親交の深いカジノ王。
コラムでそいつに批判的な記事を書いた記者個人を脅し、
記事の撤回を拒否された末の買収劇。
印象的だったのは、記者はただ事実を書いただけやのに、
カジノ王は「侮辱された」とお怒りで、記者個人を恨んでいたこと。

メディアを守るべき合衆国憲法修正第1条は、ないがしろにされ、
トランプは、「名誉棄損法」をつくって、メディア規制をしようと躍起らしい。
なんぼ幼稚でも権力はコワイ。
多額の訴訟費用、賠償金、スポンサーの撤退、
取材先からの締め出し、御用メディアの攻撃、
記者個人への脅し、モノ言う記者の孤立。
記者が苦悩し、メディアが疲弊し、沈黙していく。
ドキュメンタリーは、それでも闘うと誓う人々で締められてた。
けど・・・。

ああ、これウチらの国のことよ~。
社会的責任に無自覚で、
個人的感情と社会的立場を分けて考えられない人たち。
記者個人を憎むことがオカシイって気付かない。
「ハルク・ホーガンはテリー(彼の本名)とは別人だから、
テリーを攻撃するのは許されない」ってのが勝因やったわけやけど、
じゃあ、社会的な立場っていったい何なん?
「ボクちゃんだって総理大臣である前に人なんだぞ!」
って国会で言うんかい。
てか、言うとる気がする。
ゲンナリ~。

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「トンマッコルへようこそ」

観たかった映画を借りた。
「トンマッコルへようこそ」(2005年 韓国 パク・クァンヒョン監督)
すごく泣けた。

朝鮮戦争を画いてるのに、ファンタジック。
現実味がなくて、音楽が久石譲やからか、ジブリっぽい。
彼らが命がけで村を守るラストなんて、ナウシカそのもの。

違うのは、朝鮮戦争の傷の生々しさ。

ラジオも電話もろくにないあの時代、戦争に追い回された人々は、
どんなにか桃源郷を望んだやろう。
どんなにか見つかったら殺されるかくれんぼから離脱したかったやろう。
敵に怯える兵士も、敵が何なのか分からない。
ただ殺される村人も、なぜ殺されるのか分からない。
米軍が掃討作戦と名付け、処刑がイデオロギーに基づいた粛清だと言われ、
漢江にかかる橋が避難民ごと爆破されても、
とにかく、みんなが逃げて行く場所がなかった戦争。
命が何の重みも持たない期間が何年も続き、
何百万人もの人が自国内のどこかで命を落とした戦争。

極度の緊張と恐怖が続く中、
南北の兵士と米兵が、心も身体も救われた村があった。
殺し、殺されたくなかった。
助かりたかった。
平和の中で生きたかった。
朝鮮の大地に生えてるみたいな、その願いの方に、あまりに現実味があって、
観終ったあとも、くりかえしその願いが迫ってくる。
このファンタジーがあの国で大ヒットしたのは、
その傷があまりに深くて、いまだに癒されないからじゃなかろうか。

朝鮮戦争を知れば、世界の戦争の構図が見えると思う。
だけど、知らなくても、観てほしい。
観れば、戦争から逃げたかった思いの強さを追体験できる。
それはきっとどんな戦争にも共通のもの。
怖ろしいほど現実的なことをファンタジーの中でみる。
刺激される想像力が、戦争の正体を理解させる。
そういう映画やから。



「アクト・オブ・キリング」

映画「アクト・オブ・キリング」を観た。

1965年に始まったインドネシアの大虐殺。
権力を掌握したい側が「共産主義の脅威」を騙って煽った虐殺。
共産党員だけでなく、華僑やジャーナリスト、知識人、労働者・・・。
100万とも200万とも言われる人が殺された。
日本を含む西側諸国は、渦中のスハルト政権を支援。
CIAが抹殺したい「危険人物リスト」を政権側に渡したとも。
そして、虐殺を実行したのは、反共自警団や地元のギャングたち。

可愛い孫に、おしゃれな洋服、ダンス上手。
1000人殺したアンワルは、人生を楽しむ。

監督は、老いた虐殺者を誘う。
「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」

映像は、どこまでも明るく美しい。
自然の色彩も、都会の街並みも、生命力が感じられる。
その明るさが、この映画の寓話っぽさを増す。
まるで、壮大なコント。

映画館のダフ屋だったアンワルが、共産主義者を殺した動機は、
彼らがアメリカ映画を追放しようとしたから。
パンチャシラ青年団のヘルマンが選挙に出たのは、
小さな権力でもあれば、みかじめ料が労せずして稼げるから。
自らは手を下さず、抹殺すべき人物を選別した新聞屋は、
「ただ共産主義者が嫌われるよう仕向けることが我々の仕事」。
州知事や副大統領は、反共青年団の必要性や利用価値を、臆面もなく語り、
青年団のボスは卑猥な言葉で女性蔑視を繰り返す。
その青年団の集会は、マッチョ右翼テイスト満載で、
団員は「おまえにとっての地獄は俺にとっての天国だ」という強姦マインド。

あまりに露骨であからさま。身も蓋もない。
だけど、しばらくすると気づく。
これって、オッサン政治あるあるやん。
何てtypical!
デフォルメされたオッサン社会がそこにある。
ただ、私らの社会では、オブラートに包んでるだけ。
尻尾を出さんように、言葉を選んで、
えげつないことも、えげつなく見えないように、気をつけてるだけ。

そういえば、北朝鮮のニュースとか見てて笑てまうことがある。
金主席の拍手の仕方、敬礼や整列の見事さ、ニュース原稿の読み方。
どれも極端すぎて、笑てまう。
その政権下に、投獄や飢えに怯える人が大勢いてても。
戦前の日本やナチスドイツの白黒映像も同じ。
何なん、これ、コントや~ん?

コントがおかしいのは、デフォルメされた人物の中に自分を見るから。
おかしな現象、おかしな他人という認識の、表層の下にある自虐。
壮大なコントに踊ってみせるアンワルは、私自身。
腐敗した権力構造を頂くインドネシアは、日本でもある。

そのことに気づいて起こる笑いに、監督は賭けてるんやと思う。
怖ろしいけどおかしい。
おかしいけど怖ろしい。
その笑いが、極端だった自分自身に気づく端緒になるから。
その自覚が、極端へと転がり始めるときのブレーキになるから。

だから、できるだけ多くの人にこの映画を観てもらいたい。
全世界の、特に政治家に観てもらいたい。
そして、神様に見透かされるような恥じらいを感じてほしい。

ロマン・カチャーノフ

4歳の娘、お餅ちゃんと一緒に映画を観に行った。
ロシアの人形映画、「こねこのミーシャ」など短編4本。
20年前に亡くなったロマン・カチャーノフ監督の作品。

すべての人形の動きが、ほんとに繊細で愛らしい。
小首をかしげる黒猫ミーシャ。
雪の中を跳ね回る赤い毛糸犬のミトン。
迷子のブヌーチカを捜しまわるおじいさんの心配顔。
夫からの手紙を待つ寂しげなママと、ママを大好きなボク。
人形とは思えない表情ばかり。

1960年代から1970年、旧ソ連でつくられたコマ撮りの人形アニメ。
あの冷戦の時代、全体主義のソ連で、映画を作ったカチャーノフ。
ベトナム戦争があり、チェコ進攻があり、キューバ危機があった頃、
彼はどんな思いでこの美しい作品を作ってたのかなぁ。
少なくとも、赤狩りに奔走したウォルト・ディズニーみたいに、
ガツガツした正義や夢を子どもに植え付けたりしてない。
それは、生きものへの、ささやかな愛を語る詩のような作品。

こんな感性を持った人は、戦争が嫌やろうな。
大好きなパウル・クレーを思い出す。
所在なさげに動物を抱えてたたずむ動物飼育係の絵。
生きものへの愛は、大きな時代の波や権力に抵抗できない。
ただ、儚げにたたずむ。
だけど、個人を圧殺する全体主義の社会にあっても、
こうやって1つ1つの命のありかを主張することもできる。
そういう種類の愛を語ることこそが、
カチャーノフという才能ある「個」ができる唯一の抵抗やったのかもしれん。

でも、4歳のお餅ちゃんには、ちょっとむずかしかったかも。

↓ 赤い毛糸でミトンわんこを作ってみたよ♪
ミトン2



「サラエボの花」

サラエボの花」を観た。
2007年のボスニア・ヘルツェゴビナの映画。
1992年から1995年まで続いた内戦で傷ついた女性と、彼女の娘の物語。

泣けた。
生きるってすごいなぁ。
日常は、残酷で偉大や。
生き残ってしまえば、生活は容赦なく人生を追い立てる。
でも、日常が愛を育む。
赤ちゃんを抱いた瞬間から、彼女の日常が動き出す。
否応なく愛することが苦悩になり、喜びになる。

ラスト、手をふる娘を愛おしいと思いすぎて苦しかった。

戦争で起こった出来事を許せないと思う。
彼女は、他の被害女性たちと、感情のやり場を共有してた。
互いに反芻して、やっと生きてる。
でも、国の「中の人たち」が、戦争を反芻しなかったら、同じことはまた起こる。
傷を抱えたまま生きる人を尻目に、すっかり新しい気分でいることは愚かしい。

ボスニア戦争が終わって19年。
そして、今日、阪神大震災からも19年。
日常の時は否応なく流れる。
どんな出来事があったとしても、ご飯食べて生きなあかん。
ご飯食べてるからって悲しくないわけじゃない。辛くないわけじゃない。
それでも生きてるということの「生」は尊い。

せめて忘れないで、この同じ世界に生きていこうと思った。


「ハンナ・アーレント」を観た後で。

映画「ハンナ・アーレント」を観に行った。
「全体主義の起源」を書いたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレント。
収容所から生還した彼女が、ナチス戦犯アイヒマンの裁判をレポートする。
「命令に従っただけ」と繰り返す小役人アイヒマン。
「おどろくほどノーマル」な彼が、なぜ大虐殺を担うコマになったのか。
それは、思考することを停止したから。
彼女は、ユダヤ人指導者の行動を問題にしたことや、
アイヒマンを「巨悪」と捉えなかったことで大批判をあびる。
それでも、誰もが思考停止すればアイヒマンになりうる…。

そーやね、そーやね。
美しさや醜さを体感して判別し、考えて言葉にする。
そういう作業をし続けることで、人間は人間でいられる。
自分でキャッチして、自分の中で考えるって大事や!
…と、感動しつつ映画を観終わり、あたりを見回したとき、実はちょっとイラっとした。
なぜなら、周りが中高年ばっかしやったから。
それで、この苛立ちの理由を自分なりに分析してみた。

「わかったような顏してハンナに同調してるけども、わかってんのかよ~」。
これでした…。
おそらくは社会に対してモノ申す自覚の高い中高年の方々。
おそらくは信念を持って行動してきた方々。
だけど、その運動は、ピチピチした新鮮さを持ったまま私ら世代につながってる?
いやまぁね、そこにいらした方々を具体的に指してるんじゃないんです。
ただ、ずっと感じてた停滞感が「思考停止」ってワードにハマってしまったんです。

秘密保護法の強行採決があった今、
食材偽装のなんやかんやは知ってる人も多いのに、
大事なことはスルーされてしまう空気感。
そうです。私、焦ってるんです。

そもそも「思考停止」は「保守」に起こるものと思ってた。
「状態を保つこと」を保守と言うのであって、
旧来の社会体制の維持をめざす「右派」は、
それほど思考せずとも、踏襲することで足りることが多いから。
でも、実はそれは「左派」にも起こり得る。

はじめは、個々人が自らつかみとった理解の中から生まれた言葉やアイデアが、
ルーチンになり、記号化され、各グループ単位の権威になり、
その権威の下に居場所を確保することで安心する人々が増える。
他人の言葉を言ってるのか、自分の言葉を言ってるのか判断がつかなくなり、
それでも大筋で方向性を理解している自分を信じて、
語りかけるべき道行く人を見ずに、結局自分自身に語りかけている。
そんなことになってないかな…。

「お前らの世代こそ思考してないやないか」って言われそう。
でも、そもそも私ら世代には「思考してる」って自覚がない。
「思考」の型もノウハウも、受けついでこなかった。
ただ、置かれてる現実が厳しければ厳しいほど(実際に先行きは暗い)、
体感したことを、自分らの表現方法で伝えようとして行くと思う。
「思考してる」って思いこんで、他人の言葉を繰り返すよりはマシな気がする。
ああ、ちょっと言いすぎか。

もちろん、魅力的な言葉で話す方々もいてはる。
ハンナが敵味方の区別なく、思考を放棄する凡庸さに危機感を抱いたように、
多くの人が自戒を込めて映画の感想を広めはるやろうと思う…。

「考えることで、人間は強くなる」。
これは普遍的なことであって、世代間で違ったりしない。
思考して発せられた、みずみずしい言葉が、世の中を動かすはず。
すみません。私もガンバリます。

「チスル」

韓国映画「チスル」を見てきた。
済州島4・3事件の話。
数年前、事件で殺された人の遺骨が大量にみつかったニュースを見た。
場所は、済州島の国際空港。
4・3事件って何やったんやろう。

日本の敗戦と占領の終わり、
南北の対立、米ソの介入、朝鮮戦争・・・。
その動乱の10年近い期間に、6万人とも8万人とも言われる人が殺された島。
南端の防共に焦るアメリカにおもねり、韓国軍が済州島を見せしめにしたのか。
殺されたほとんどの人は、思想的背景とは無縁の島民やったという。

「チスル」は、
なぜ殺されるのかわからず死んでいった人々、
なぜ殺すのかわからず殺した軍隊を描いてる。

これは、「事件」なんかじゃない。
軍隊による虐殺は、あまりに一方的な戦争。
「アカを一掃する」という大義の下の略奪、強姦、虐殺。
戦争の大義を理解させる相手は、加害の列に加わるべき人々。
島民に理解させる大義なんてない。

日本が起こした戦争でも、同じやったはず。
今も、世界中のどこでも起こりうること。
南京、沖縄、サラエボ、ウガンダ、シリアも、
アフガンやイラクでアメリカがやっていることも、
住民の側から見れば全く同じ。
なんで殺されるのか、わからないまま。

済州島の鮮やかな空や海、じゃがいもが採れる火山土の匂い、
そこから生えているような島民の素朴な命。
ただ、そこで生きていたかった人を、根こそぎにして、
沈黙を強いた権力が怖い。
大義なんていらない。
軍隊なんていらない。

追体験するのが、重く辛かった。
モノクロの映像から、島の面影を思い描き、
そこにいた人々に心を寄せて、
鎮魂を待つ命を思う。
この映画には、そういう力がある。

ハナ~奇跡の46日間~

「ハナ~奇跡の46日間~」
京都みなみ会館で観てきた。
やってる映画館少なすぎるね~ん。
もっといろんなとこでやって~。

とにかく、ダラダラと生きてることが恥ずかしなる。
それぐらい爽やかで美しい映画。
南北が卓球世界選手権を統一コリアとして戦って金メダルをとる。
その政治的なメッセージよりも、スポーツを通して育まれる信頼、思いやり、友情の物語。
ああ、スポーツってステキ…。

実は、「ニッポンチャチャチャ」も「テーハミング!」も苦手。
ナショナリズムってものがなかなか理解できない。
だけど、祖国への愛って、いわゆる愛国と違うみたい。

南の彼女が、肝炎を患う北の彼女に言う。
「南なら豊かだし、病気の治療もできる」
北の彼女は静かに答える。
「どんなに豊かな国より、私は祖国で暮らしたい」

祖国って、漢字の国独特の言い方なんかなぁ。
Homelandより、もっと時間的背景を感じる。
先祖代々、つながって連なって続いている愛着。
「そこで暮らしたい」。
その気持ちなら分かる気がした。

そうなるとますます愛国が分からない。
だって、「私」は国家よりも先に存在してる。
その「私」につながる大地や習慣や言葉に愛着がある。
「国家」への愛…。う~ん…。
大地に足がついてる実感が持てなくて、ジタバタしてしまうような感覚。

「国家」を認識させるために、命令や強制が存在するなら、私は「私」を守るやろう。
우리들은 하나 !(私たちはひとつ!)のかけ声は、つながる「祖国」への思い。
そして、在日の人たちが同朋を強く意識し、祖国を思うのは、
彼ら自身の「私」を守るためなのかもしれない、と思った。



チャップリンの「独裁者」と大阪の選挙。

チャップリンの「独裁者」は1940年に封切られた映画で、
ヒトラー本人も見たと言われてるのがびっくり・・・。
独裁者が、何を思って、その映画を見たのか聞いてみたい。
自分の立ち位置をハッキリさせてて、確信持って「独裁」を進めてたから、
どんなに揶揄されようと、ゆるがんかったんかな。

チャップリン映画に、おなじみの主人公、
小柄な「チャーリー」は、いつも身体の大きな警官に追い回されて、
スカッと胸のすく小粋な仕返しをする。
それは、抑圧された側から、権力者をなぶる爽快な笑い。
チャップリン、落語を知ってたんかな・・・と思うくらい、笑いの質が落語によく似てる。
主人公が市井の人間、日常生活の出来事、権力者からの精神的自由・・・。
かたや話芸で、かたやサイレント映画やのに、共通点がすごく多い。

だけど、「独裁者」では、構図にもっと広がりがある。
主人公の基本的な立ち位置は同じやけど、権力者はあまりにも大きい。
権力を握る「独裁者」の後ろには、人間を機械のように扱う大資本の影もある。
そして、あのラストの演説シーンは、時代を超えて、今、また新しい。
「独裁者」は、民衆を扇動して、民衆の上に君臨し、民衆の精神を圧殺する。

ヒトラーが、「独裁」に、人間を統制する手段として「確信」を持っていたように、
現代の「独裁者」に名乗りをあげた橋下徹さんも、同じ「確信」を持ってる。
大阪府民、市民を、耳ざわりのええ言葉で扇動して、
とにもかくにもトップにつけば、あるいは選挙制度をいじってでも過半数をとれば、
公約してもいない「重要法案」を突然出してきて、有無を言わさず可決する。
教育も医療も福祉も、けっして民衆のためではなく、
大企業・財界が望む通りの「民間」参入をさせて、弱い者を切り捨てるようにシフトする。
そして、注目すべきは、財界が「独裁者」を後押しし、陰に日向に支援してること。
橋下さんの「確信」の動機あるいは裏付けは、「財界の側」に立ち位置を決めてること。
「財界=権力」これが、ゆるがなければ、どんなに揶揄されようと、へっちゃらで、
民衆を踏みつけていくことができるやろう。

しかも、これは、小さな「大阪」だけで進んでることじゃない。
橋下さんの背後にあるのと同じ「財界」は、「新自由主義」という手法で、
「日本」そのものを、一つの方向に進めようとしてる。
そのために、いちばん手っ取り早いのは「独裁」。
「大阪」は、その実験場になるやろう。

人間は、経済の道具じゃない。
人間には、切り捨てていい者も、他者を踏みつけていい者もない。
だから、民衆の側に立ち位置がある私は
(何の権力もない市井の母親やから当然やねんけど)、
多くの同じ立場の人たちと連帯して「独裁」を止めたい。
チャップリンがあの演説で呼びかけたように。


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テーマ : 地方行政と政治
ジャンル : 政治・経済

「父と暮らせば」

映画「父と暮らせば」。
以前に見たときは、これほど泣かなかったと思う。
夏にNHKで録画しといたのを、今頃見てみたら、泣けて泣けて。

大震災で、たくさんの人が亡くなり、たくさんの人が遺族になったからかな。
以前とは違って、私が母を亡くしてるからかな。
我が子が3人になって、ますます可愛いからかな。
この夏、広島へ行ったからかな。

それから、原田芳雄さんが、亡くなったからかな。
娘への愛情たっぷりの、おちゃめで人間臭い、おとったん(竹造)が、魅力的で、悲しくて。
娘(美津江)役の宮沢りえさんの、華奢な身体や、白く曇った表情も、
生き残った彼女が抱える、消え入りたい辛さを、すごく体現してたと思う。

亡き井上ひさしさんが、
娘の恋の相手となる木下青年を、
原爆資料を収集して世に問いかけようとしている学者に設定したのは、
「生きていく者」へのメッセージ。
「生きたかった」強い思いを忘れないで、誠実に生きてほしいという願いやろうか。

原爆で、生き残って苦しむ娘を、命の限りまで生かしたい父の思いは、
親の思いでもあり、無念のうちに死んでいった被爆者の思いでもある。
生きたかった人たちの、単純で、純粋で、せつない命への思いを、
「生きていく者」として受けとめたい。
思いに応えて、誠実に生きようと思ったら、
やっぱし、愛する者を守るために闘うことになるのかなぁと思う。
何もせんでも、平和に生きられたらいいけど、
「ささやかな暮らし」の上を、「強欲」が土足で踏みつけて行くんやもん。
そして、それが、いつか戦争につながるやろうと思うから。



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ゆりひなな

Author:ゆりひなな
おもしろい記事書くために、おもしろい生活できたらええなぁ。その逆でもええけど。

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