この綱渡りな感じ。

豪雨で山が崩れ、家が流されてる。
小さい頃、テレビで目にしたこういう光景は、大きな台風のときやった。
こんなに頻繁に、同じような災害を見た記憶はない。
荒れた山に高齢者だけが取り残され、救助された後の復興もままならない。
ゲリラ豪雨って温暖化による異常気象の必然なのかな。

でも、必然はそこだけじゃない。
人の手がこまめに入ってた里山が、放置されれば保水力を失う。
林業がすたれたのは、若い世代が里山から出ていくから。
出ていくしかないのは、そこに暮らしていては、稼げないから。
稼げないのは、国が一次産業を軽んじてきたから。
農業も漁業も、同じように、自然と一緒に循環していた風景ごと、
ポッカリと消えていくのかな。
その消えて行く過程で、こういう災害が繰り返し起こって、
なぎ倒された人たちは、自分の責任で行き場を見つけなければならない。

ニュース見てたら、災害が起きた場所の、局所的な現象にしか見えないけども、
行き場を失うギリギリさは、日本全国に普通にあるんやと思う。

ほんの少し前まで、家賃も携帯料金も支払って、派遣で暮らしてたのに、
風邪をこじらせて少し仕事ができなくなったとたんホームレスになるとか。

一家に、介護を必要とする老人が出現したために、
ドミノ式に家計が破たんしてしまうとか。

山や畑を持ってても、災害の危険が増す地域に捨ておかれるギリギリさと同じ。

明日はわが身。
そういうポジションの人は、10年前に比べて大幅に増えてるやろうと思う。
でも、多くの人は、
セーフティネットからこぼれ落ちる可能性を自覚しないまま、
ギリギリラインを幸せに生きてるのかもしれん。

憲法はまるっとお見通しやで。

言うとくけど、
選挙結果の民主主義を騙って、憲法や教育基本法をいじるのは承知せん。

憲法は、↑↑こーいう事態を予想してる。
最高法規ってのは、欲の皮のつっぱったオッサンが、
机上でどないかして国民をコントロールしたろうって、
頭ひねるようなスケールのちっちゃい話と違う。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

永久の権利の話やで。
過去から、人類から、信じて託された。
人間を大事にしよう、未来を大事にしようって託されたもの。

「隣のならずもの国家が」「ろくでもない隣国が」って、
よそから見たら、私らの国かてそーや。
正義を言いたてて、ナショナリズムを煽り、
軍隊を持つことを望むのは誰?
自衛のためと言わずに戦争する国がある?

憲法は、自分を脅かすのが誰か知ってる。
それは、国民ではなく、欲の皮のつっぱった権力。
国民を、あの戦争へと駆り立てたものの正体が、その権力やと知ってる。
憲法は悲痛な思いで存在してる。

私は、憲法を絶対に守る。

「誕生」中島みゆき♪

今日は亡き母の誕生日。

中島みゆきの「誕生」を聞くと、
いつもこのくだりで泣ける。

  Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
  耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
  Remember けれど もしも思い出せないなら
  私いつでもあなたに言う
  生まれてくれて Welcome

彼女にこれを伝えればよかった。
生きてるうちに言えればよかった。

大阪大空襲の直後にこの世に生まれた彼女は、
その空襲で父親が死んだことを知らず、
父親が死んだことによって、母親が追いつめられていることも知らず、
生まれた瞬間から、産まなければよかった子になった。

彼女は、生涯、生まれてきたことを歓迎されない子どもやった。
死ぬまでずっと、誰かに言ってほしかったに違いない。
生まれてくれて Welcome

ほんとはずっと思ってた。
ほんとは母が大好きやった。
でも、子どものままの彼女が許せなくて、
死んでしまうまで言えなかった。
死んでしまうと分かってたのに言えなかった。

言えなかったものは抱えとくしかない。
この歌聞いて泣いとくしかない。
後悔しつつも、人間なんてそんなものなんやろうなぁ、と思う。





「あまちゃん」が好き。

NHKの朝ドラは、あまり見たことがない。
これまで熱心に見たのは、「ちりとてちん」ぐらい。
でも、今回は録画して毎週1週間分いっぺんに見てる。

「あまちゃん」の何が好きって、だんぜん春子(小泉今日子)!
頭ぶつけまくった青春時代を背負った、ツッパリで芯のある母親。
クドカン脚本すごくいい。
それぞれの世代が自分を投影できる人物が登場するとこが評価されてたけど、
それが、私なら春子なんかなぁ。

でもね、他の世代の登場人物も今までとは違うねん。
夏さんだって、「リアス」の常連だって、アキの担任だって、
登場人物それぞれが、自由で対等な立場やねん。
みんな生活感もあるのに、肩書きや役割にしばられてない自由さを感じる。

中でも春子は、母親やのに、自分の感情に正直。
わが子にすぐ「バッカじゃない?」って言う。
イライラしてるのを隠さないし、自分の母親にもみっともないぐらい反抗的。
自覚し、後悔も迷いもしつつ、ツッパリを続けてる。

春子を見てると楽になる。
自分が「母親」としてではなく「自分」として生きたい願望があるから。
子どもに暴言を吐いたらあかん、暴力もあかん、
親として世間からどう思われるかが、子どものためにも大事。
自分より子どもを優先させて考えなあかん…。
それほど自分を縛ってるわけじゃなくても、
母親らしくあらねばならないっていうプレッシャーは常にある。

私の亡き母は、ときどき「お母さんなんかやめたい」って叫んでた。
「何で召使いみたいにご飯作らなあかんの?」
「アンタら、ハタチ過ぎたら出て行って。もう、お母さんは嫌や。」
(↑これを小学生の私とかに言う。)
私は、毎度毎度、困惑はしてたけど、母に腹をたててたわけじゃない。
どっちかというと、「申し訳ないな~」と思ってた。
ああ、自由に1人で生きたいんやろうなぁ。
でも、毎日1人じゃ寂しいんやろうなぁ。って。

今、私の毎日も同じ。
子ども向けのアニメやドラマに出てくる母親は、
だいたいが穏やかで、物分りがよく、やさしい。
ベネッセの「しまじろう」なんてYouTubeで見たら、閉口するしかない。
ひとの背中に、「母親」の役割を重く重く乗せてくる。
もはや脅迫の域。

だけど、私は母のおかげで少しは楽。
お母さんをやめたかった母を思い出して、苦笑しつつ、
自分を大目に見ることができるから。
そんで、子どもにみっともないとこ見せながら、
大好きやのにしんどくなってしまう気持ちを言えるから。

春子は、自由に振る舞いながらも、
自分の不器用さも不自由さもわかってる。
クドカンの登場人物は、みんな素のまま生きてて愛おしい。
だから、「あまちゃん」が好き。

「対話がきこえない」

朝日新聞労組主催の「言論の自由を考える5・3集会」に参加した。
今日は、憲法記念日で、1987年に朝日新聞阪神支局が襲撃された日。
幼い娘を残して、29歳の小尻記者が殺された日。
散弾が200もの鉛粒を彼の体内で飛び散らせたなんて…。
その事実と共に、彼の無念を、はじめて想像してみた。
想像力は、自分の中で事実の重みを変える。

で、シンポジウムは、
粗暴なネットの言論(?)がリアルに流れ出している現状をどうするか、
どうやったら対話していけるのか、という話。
ツイッターなどで繰り広げられる攻撃的な言葉の応酬。
自分好みの主張を補強する動機による偏った情報収集。
あげくに、街中で人を殺せと叫ぶヘイトスピーチデモ。

なんだかなぁ…な現状ではあるけども、
私には、これも一面的な事なのかなぁと思える。

安田さんが「在特会」の人に「なぜデモに参加するのか」と問うと、
「階級闘争だ」とか「言論の自由を守るためだ」とかいう答えが返ってくるのだそう。
これ、すごくおもしろいと思った。
それって、左派の専売特許やん?
なのに、1つのツールとして、その言葉を盗用されてしまってる。
つまり、相手の意見を聞かずに、自分の意見を言い放つための道具として、
彼らは左派言語を使ってんのね。
左派オリジンの、記号化された言葉。
体制に反対する左派の言葉の数々って、生身の人間に伝えるみずみずしさを失って、
自分たちの正当性を言い放つツールとして使われてしまってない?

朝日新聞が、正義ぶって「実」(ジツ)のない記事を書き続けてきたことが、
読者にバレてきてしまってるのと同じように(今日そんな風に言われてた)、
左派の言語は、言葉を相手に伝えるものとして使うのではなく、
相手を打ち負かすため、あるいは自分の主張を言い切ってしまうために使っていることが、
伝えるべき相手(市民)にバレてしまっているのではないかと思う。

左派とヒトコトで言うと語弊があるかなぁ。
この場合、指しているのは、とにかく言いっ放しで相手の意見を聞かんオッサンのことかなぁ。
そもそも「対話がきこえない」流れを作ったのは、
そういうオッサンとちゃうやろうか。

で、ネット世論って、要するにオッサンが蔓延してる世界やと思う。
例えば「Yahoo!みんなの政治」のコアユーザーは50代男性だそうな。
ネトウヨには若い女性も多いと聞くけど、
それでも、激しい言葉に酔いしれてる圧倒的多数は男性。

だって、これがおばちゃんなら、
ヘイトスピーチなんて「人様になんちゅうこと言うてんの」やし、
難しい内向き言語を並べ立てて主張なんかされたら
「なんやわからんわ。もっとわかるように言わんかいな」やもん。

小田嶋さんが、
「ネットは自分の嗜好を映す鏡みたいなもの」って言うてはった。
なるほど。
無限に広がる空間と思いきや、
実は自分の興味あるものを、拾い集めているだけの閉じた世界。
ネットを、そんな風に使っている人が大多数なら、
しかも、スマホを手にした女性たちが、
以前よりも簡単に、その世界に入り込んでくるなら、
ネトウヨの世論などは、本当に一部分の世論になるやろうと思う。
サヨクもウヨクも、シロウトにわかる言語で外向きな対話をせんかったら、
単に迷惑なネット住人という評価しかされへんのちゃうやろうか。

そこんところは、リアル社会でも同じで、
対話しようとすれば、相手に伝える努力も、相手を思う想像力も必要。
想像力は、理解を助け、情報を受け入れるチカラになる。
想像力を刺激する機会が、生きた民主主義をつくると思う。

言論


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保護者から大阪の先生たちへ。

大阪の多く保護者は、橋下さんの教育改革に期待しています。
でも、期待とは裏腹に、その中味をじっくり見ていくと、
私たち保護者の願いとは、かなりズレがあることに気づきます。
しかし、よほどじっくり見ないと、そのことに気づけません。

先生たちは、きっと、教育基本条例の問題点や、現場の変化をよくわかっている。
だから、気づかない保護者を「バカじゃないか」と思っているのではないですか?
先生たちが、橋下さんたちの施策に反対する運動をするとき、
「その教育改革は間違っている」ということが前提になりすぎてて、
保護者の思いを置きざりにしていませんか?

保護者は、わが子を待ち受けている社会の現状が、非常に厳しいものだとわかっている。
だから、わが子だけでも何とか助かってほしい、
生き残り競争に勝ち残ってほしい、と思っています。
その切実さに寄りそってほしい。
勝つか負けるかだけでなく、わが子とまわりの子の利益はつながっているということ、
公教育が子ども全体の底上げをすることができれば、わが子の出ていく社会の底も上がること、
そういう、二者択一ではない教育の可能性を示してほしい。

保護者は、テストの点数を公開しろとか、先生を評価しろとか、
その行為自体を望んでいるのではありません。
そこには、そうすることで学校がよくなり、子どもの学習環境がよくなり、
子どもが生き残るチカラを得られるなら、という思考回路がある。
保護者がいちばん望んでいることは、わが子の幸せ。
だから、その願いに寄りそうところから出発して、
保護者の思考回路を遡れば、別の方法を提示できるかも、と思います。


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手渡したいのは青い空。

「手渡したいのは青い空」というのは、西淀川公害訴訟のスローガン。
1978年に始まったこの公害裁判は、
まさに「人間の未来がかかった闘い」やったと思う。
呼吸器を冒され、喉をかきむしって苦しむ患者や家族たちが、
関西電力や重化学工業の企業数社、そして国と道路公団に対し、
ばい煙や排ガスによる大気汚染や騒音・振動などの被害を認めさせ、
賠償と公害まき散らしの差止を求める裁判だった。
→ 西淀川公害訴訟「手渡したいのは青い空(全面解決編)」

私が就職したのは、この訴訟を担った法律事務所で、
事務員の仕事を覚え始めた1998年、最後の和解が成立し、
そのささやかなパーティの席で、私は初めて原告の話を聞いた。
20年以上続いた裁判の間に、
多くのぜん息患者が亡くなり、原告も年老いてた。
経済的利益を優先する力が強すぎて、
長い長い時間を、ほんとに苦しめられたんやなぁ。
だけど、裁判の中で誕生した「あおぞら財団」は、
子どもたちに青い空を手渡すために、今も活きてる。

今日は、中国から汚染物質がたくさん飛んできてるらしい。
テレビ見てたら、粒子状物質PM2.5を、はじめて肺に入れているかのような錯覚に陥る。
中国は、いろんな汚染に無頓着な状態やろうし、
日本にもつながってる空が汚されるのは迷惑やと思う。
でも、これまでぜん息で死んでいった人は日本にもたくさんいる。
被害を認めて対策を講じるまで、長い長い時間がかかってる。

中国の公害を許容しようって言うんじゃない。
あの北京の空の下に、背中丸めてもがき苦しんでる子どもがいることを想像したい。
つながってる空に責任を持つことを国を越えて共有したい。
対立してるのは国どうしじゃなく、目先の経済的利益と人間の未来。
いくつもの公害裁判の被告だった国には、それがわかるはずやと思う。


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子どもの世界を慮る。

大阪で、小学5年の子が学校の統廃合を苦に自殺した。
このニュースを聞いたとき、私は、わが家のことを考えた。
うちの子どもは、こんな風に死を選ぶ可能性がないやろうか。
そして、すごく怖いと思った。
他人事じゃない気がした。

うちでは、子どもとニュースや新聞を見てよく話をするし、
子どもは、学校であったことを細かく話してくれる方やと思う。
小学校低学年の子どもたちだって、あなどれない。
きちんと考えて、自分の言葉で意見を言う。
変に子ども扱いしないで、子どもの考えることに向き合いたいと思ってきた。

だけど、子どもの見ている世界を、私は見れているのかな…と不安になる。
幼い彼らの精一杯、満タンの思いというのを、私は知ってるのかな…と思う。

情報は、親からだけではなく、学校からも友だちからもテレビからも入ってくる。
今は、子ども世界の速さや色や臭いを想像するしかない。
かつての自分は、そんなにも子ども子どもしてたっけ?
案外、いろんなことに注目して、冷静に分析してた。
そのくせ、すぐに思いがパンパンになって、溢れそうになってた。

このところ、ずっと首長が主導する教育改革が物議をかもしていることを、
子どもが注意深く見ていたとしたら?
パブリックコメントが軽んじられていること、
教育委員会が右往左往すること、
統廃合も学校選択制も、反対派の大人がいても、大筋で方向性に変わりようがないこと…。
そんな中、大きく情勢が変わったのは、桜宮で高校生が自殺した件だけ。
自殺者が出たから首長も教育委員会も動くのだ、という強烈なメッセージを、
子どもが受け取っていたとしたら?
そんなことを思う。

どんなときも命と引き換えになんかしてほしくない、
彼のご両親もきっとそう強く思ってたはず。
私も、わが子にそう言いたい。
それは、絶対にわかってもらう。
でも、子どもは親とは別の場所で、子どもの道をひた走ってるということも、
肝に銘じておこうと思う。


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体罰と橋下市長、その後。

市立桜宮高校で起こった指導死。
どうやったら、再びこんなことが起こらないようにできるのか、
どうやったら、遺族をこれ以上傷つけないで、原因究明できるのか、
今、誰がそのために動いてるんやろうか。

2011年6月の文科省通知
(児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について)には、
学校事故死の遺族や教育の専門家たちが長いこと提言してきた
「第三者委員会の設置」が盛り込まれている。
弁護士だけでなく教育・スポーツ・医学・心理など他の領域の専門家が、
遺族や生徒に寄りそう形で、調査することが求められてる。
この事件では、今、それを始める大切な時やと思う。

なのに、橋下市長の言動は、そこからかけ離れて行く。
○ 桜宮高校の入試を中止しなければ予算の執行を止める。
○ 4月に体育顧問が1人でも残っていたら人件費の執行を止める。
○ 入試中止の撤回を求める中学校校長らは教育者失格。だから全員公募にしていく。
○ 受験生は生きているだけで丸儲け。チャンスなんか何度でもある。
これが、被害者や生徒に寄りそい、再発を防止するための言動やろうか。

むしろ、こっちの方が本音なんちゃうのん?
○ 予算執行の権限を楯にできることを示しておきたい。
○ 分限免職の前例をたくさん作っておきたい。
○ 校長を公募にして橋下マネジメントロボを早く製造したい。
○ 受験生の望みを我欲と断罪することで優位に立ち、
 「市長が作る公共の利益」優先という感覚を刷り込みたい。

桜宮高校が市立だったことも、彼にとっては絶好の機会。
案の定、府市統合に先駆けて、市立高校を府立に移管していくって。
彼は学校の統廃合を早く進めたい。
この先10年で高校生人口1万人減に対応して10校減という
府教委の再編整備計画よりも、もっと早く。
廃校の跡地売却益も、まっさらな統合校のマネジメントも、自分の手柄になる。

それが、桜宮高校の存在自体を攻撃し、
在校生や保護者を貶め、受験生の夢や希望を摘む、本当の理由としたら、
悩み苦しんで自殺した生徒の死を、最も軽んじているのは市長自身やと思う。


※1月18日、発言する保護者ネットワークfrom大阪が、
 橋下大阪市長と大阪市教育委員会に要請書を提出しました。
 どうぞお読みください。
 ⇒「さらに生徒を苦しめる言動を、中止してください」
 ⇒「教育委員会は、冷静かつ慎重な判断をしてください」

 



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体罰と橋下市長。

ご近所の高校で起こった指導死事件
体罰が日常になってたんやね。
体罰を許容する校風。
在校年数の長い顧問に、教え子のコーチ…。
体育科の生徒には、部活が高校生活そのものになる。
逃げ場所がどこにもなかったんやね。
親だって、子どもを人質に取られてるようなもの。
どれだけ悔しいかと思う。

彼が自殺した後の学校の対応もひどい。
教育委員会の事なかれ主義もひどい。

そして、この事件を利用する橋下市長にもゾッとする。

橋下さんは、ずっと一貫して体罰を容認してきた。
自分の子どもも殴ってしつけたと公言してる。
⇒ 橋下知事「手を出さないとしょうがない」体罰容認発言
一般に「部活なら気合入れる一発ぐらいある」って意見もある。
だけど、その一発が許されると首長が公言していたからこそ、
この高校の体罰調査も甘くなったんちゃうやろうか。
彼が自殺しなかったら、橋下さん自身、部活の体罰を許容してたよね?

で、今回、会見で開口一番「大失態だ」って言うた。
「いじめによる自殺より、はるかに重い事案だ」って。
思い悩んだ高校生が死を選んだ事実を、
「失態」って表現する思考回路の貧しさ。
「いじめによる自殺」は、行政が間接的に責任を問われるけど、
「体罰による自殺」は、直接的に問われる、と思った?
いったい誰が、この2種類の自殺を比べてほしいと思うのん。

続けて、こんなこと言うてた。

●体罰を真正面から取り上げてこなかったからこんなことになる
・・・どんな体罰がOKか、議論しようってことやんね?
   どんな体罰もダメって徹底しなかったことが招いた結果ちゃうのん? 

●体罰の後、フォローしてれば自殺なんかしない
・・・これ、シバキ倒した後で優しくするDV男の言い分。

●市教委には任せられないから自分が直接指揮をとる
・・・こんな体罰論をお持ちの方が、どんな指揮をとるのか。

●ご両親に会いに行く
・・・「体罰の許容範囲を超えてましたね」とでも言うの?
   許容範囲を決めるのは自分やと思ってるよね、きっと。
   
どうやったら自分に有利な展開に持っていけるか、
橋下さんは、それしか考えていない。
こんなにも痛ましい死を目の前にしても。

教育委員会をもっと骨抜きにできる。
自分が指揮をとることで、実行力をアピールしよう。
教師をさらにバッシングしよう。
批難に値する標的を見つけた市民を誘導できる。
愛情あふれる体罰を推進する世論を作ろう。
・・・頭ん中、こんな感じ?

実際、教育現場はマネジメントロボットであふれるやろう。
橋下さんの持論をコピペするロボット。
本気で「どんな体罰がいいのか」議論するやろう。
「日本は戦争の正当性を議論してこなかった」
「だから、正面から問う博物館を作る」って論理と一緒で。

ほんとにゾッとする。

私は、親として、
「どんな体罰もダメ」を徹底してほしい。
学校の名をあげるため、勝つための部活ではなく、
仲間と一緒にたたかう喜びを知る、教育としての部活を望む。
これ、まさに橋下さんの教育改革によって阻害されてることやねんけど。



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100円マック的所得。

この年末、アベノミクスなんて言うて株価は上がってるけど、
前回、彼らのやり方で、私ら儲かった実感ある?
株価が上がって、一時的に企業は儲けが出たかもしれんけど、
いつ所得に還元されたっけ?
内部留保と配当にまわっただけやったよーな記憶があるで。
ほんで、リーマンショックのツケは、
庶民の給料からごっそり補填したよね。

マクドナルド、震災後の客足は戻ってんのに売上げがマイナスやねんて。
100円マックと高額バーガーの抱き合わせ商戦、失敗みたい。
⇒「日本マクドナルド、既存店売り上げ8カ月連続マイナスのワケ
この記事読んだらさ~、
消費者をバカにしてるからこーなんねん、と思う。
自分とこの会社は、人件費削るだけ削って、
消費者には、高いハンバーガーも買ってよねって、
ムシのいい話やんね。
おたくのお客さんは労働者やんか。
労働者が生活基盤グラグラにされてんのに消費なんかできるかいな。
100円のハンバーガー買って帰るだけ。

スーパーライフのオッサン社長が消費税上げんの反対してる方が、
なんぼか先読めてると思うのは私だけやろうか。

マクドもイオンもゼンショーもワタミも、誰に消費してほしいの?
消費するのは、おたくらが搾取するだけしてる相手ちゃうのん。
「百姓は生かさず殺さず」的な舵取りしてるつもりやろうけど、
やっつけでずさんすぎる。
それ、孫子の代まで考えてるやり方ですか?
愛国心が泣くで~。



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これからの手のつなぎ方。

選挙結果、だいたい予想どおりやった。
周りの雰囲気から考えれば、こうなると思ってた。
小選挙区では、漁夫の利方式がまかり通る。
大阪では維新が勝つやろうってことも。
そう思いながら、奇跡が起こらないかな~と願ってた。

この結果。
これに危機感をもつ人たちは、
今後、どうやって手をつないでいけるか考えなアカンよね。

「少数派だけどがんばったよね」
「電話での対話もがんばったもんね」…。
そんで、次の参議院選挙、また同じやり方でたたかうの?

選挙に関わろうとする人が少ないのは何故か。
この少数派がどう見えているのか、考えてみなアカン。

「今回の選挙、お願いします」
「投票日ですけど投票行きましたか?」
少なくとも、そんな電話がかかってきた日にゃ、
私ら世代の人間は、絶対に不信に思う。
世代の違いに目を向けないで、いつまで同じ選挙をやるのかな。
いったい誰に投票に行ってほしいのか。

骨格になる考え方を変える必要はないけども、
主張をひっこめてでも「実をとる」連帯もあるよね?
その「実」の中には、独善的で排他的ってイメージを拭うことだって含まれる。

本気で多くの人と手をつないでいきたい。
そのために、私は自分のアイデアをひっこめない。
本気で変えたいと思うなら、自分からつなぐ手を探すべき。



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「聖母たちのララバイ」と日本型福祉社会構想

「あなたの給料はなぜ安いのか?-ルポ 賃金差別ー」
という竹信三重子さん(和光大学教授)の講演を聞いてきた。
WWN総会記念講演

なるほろ~。
そういうことだったのか~。
シャキッとした竹信さんの話に、頭シャキッとした。

日本女性の「お小遣い賃金」の元凶は、
1979年に自民党福祉部会が発表した「日本型福祉社会構想」にある。

 男→会社で長時間労働
 女→家庭で無償労働

そんで、社会福祉にかける税金をケチってきたわけやね。
保育所はない、介護は家で、ってなったら、女性は身動きとれない。
あげくに、均等法を有名無実にするコース別やらパートに派遣…。
「お小遣い賃金」で働きたい人がいたんじゃない。
「お小遣い賃金」で働かせたい人がいたから、そう仕向けられただけ。
バカにしてるよねぇ。

講義を聴いてたら、
「聖母たちのララバイ」(1982年 岩崎宏美)が頭ん中ぐるぐる。

  この都会(まち)は 戦場だから
  男はみんな 傷を負った戦士
  どうぞ心の 痛みをぬぐって
  小さな子供の昔に帰って
  熱い胸に 甘えて そう 私にだけ 見せてくれた
  あなたのその涙 あの日から決めたの
  その夢を支えて 生きてゆこうと

いや~、当時、子どもながらにキモイ歌やなぁと思ってたけど、
これ、自民党のオッサンらが構想(妄想)したのとピッタシ一致してんのね。

上の上の方で方向性を決めたオッサンらはともかく、
普通のオッサンらまで、自分らの働き方にプライドを持ったりしてさ。
スタートラインを不平等にしてるくせして、
追いついてこられない女子に向かって、
「女の子だからしょうがないよね~」とか
「めざせ結婚退社」とか言うて、上に立った気分でさ~。
結局、自分らの子孫に、差別の入り口こじ開けてしもたの、気づいてる?
派遣や請負いみたいな不安定な働き方を残したの、気づいてる?
今や、そんな働き方は、女子だけのもんじゃない。

これ、誰に都合がよかったのか。

ノーベル経済学賞とったポール・グルーグマンが言うてはるそうな。
「差別は上にいる働き手が
 いつでも突き落とされる穴となるのだという事実を共有する」
それが、差別スパイラルから脱する方法やって。
米国の福祉が進まなかったのは、
白人による黒人への差別観をフルに利用されたからなんやって。

男も女も、市井の人々どうしで、引きずり降ろしあったり、
「国も大変だから」「会社も慈善事業じゃないんだから」なんて、
為政者気分で勝手に慮ったりしてたら、
誰が喜ぶのか、誰がやりたい放題なのか、考えんとアカンね~。



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反対と賛成の2種類か?

反○○というのでは、変化が起こりにくいこともある。
「戦争」とか、今で言えば「原発の新設」とか、
そーいうことなら、「反対、以上、終わり!」みたいなのでもいいけど、
教育や福祉、経済や外交みたいなことって、それぞれの正義があったりする。

教育で言えば、
何が子どもに必要なのか、なぜ必要なのか、
平場で丁寧に話す機会が必要。
何も専門家でなくても、
保護者どうしや先生と保護者、時には子どもも交えて。
その上で、政治的な態度を決めなければならないときもある。
でも、そのプロセスがとても重要。

反○○は、平場の市民を分断してしまう。
譲れないことを持ちながらでも、話し合う心意気があるという態度は、
妥協ではない一致点を生み出すかもしれない。
汚い利益を得る一部の人間以外は、
自分と同じ位置に立っていると信じる。



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大阪都構想と学校選択制。

またまた学校選択制のこと。
半年間、専門的に勉強してきたんで、やっぱりちゃんと伝えたい。

学校選択制に期待する保護者の思いはさまざまやねんなぁ。

うちの近所の、新築大規模マンションの例。
校区の小学校は、もともとキャパが小さいから、たちまち満員になって、
マンションに住民が住み始めてから、校区変更が行われた。
校区の境界線を、後出しジャンケンみたいに変えられたら、そりゃぁ住民は混乱するよ。
だって、すでに通ってる子は?中学校区は?兄弟は?

そんなとき、
学校選択制があれば、空いてる学校を選べるかも…
あるいは、校区の学校が1校と決まっているリスクが緩和するかも…
となるよね。

それは、いわゆる学校選択制ではなくても解決できる。
「指定外就学の基準の拡大」という措置なら、
保護者にとっては、選択制と結果は変わらん。
就学制度改善の手法については2種類ある。←これ知られてない…。

こちらの23ページを参照してくださいまし。
大阪市教育委員会「熟議学校選択制 報告書」

選択制でなく、この「基準拡大」だけでいいと思う理由は、
「選択」をすれば、親の権利と引き換えに責任がセットになるから。
本来、就学は行政の責任で整えるべきと思うから。
そうでなかったら、「選ばない」ではなく「選べない」層が置き去りになるから。

もちろん、こういうケースでは、
就学制度以前に、区の権限を強化してやるべきことってのはあると思う。
教育委員会と建築許可を出す部署の連携から始まって、定員の調整、学校の増設など、
保護者を右往左往させる前に、行政がすべきことはたくさんある。
そのためには、区の権限強化は名目上の権限だけでなく、
きちんと予算執行できるだけの財政強化でないとアカンと思う。

ここで、問題になるのは、特別区単位で組める予算の範囲。
現在、維新の会がすすめてる大阪都構想では、特別区への予算配分が非常に危うい。
私が、都構想がおかしいと思うのは、予算配分にムリがあるからなん。

東京都は、全国で唯一、地方交付金を受け取らずに、自前の予算が組める都市やけど、
大阪府市はあわせても、東京の財源規模には、はるかに及ばん。
住民1人あたりからの税収も、比較にならん。
地方交付金がない状態で、大阪都が一括徴収した税から、
大型事業分を持っていき、残った税を特別区に分配するときには、
元大阪市では、大阪都以前の税収配分よりも少なくなっていることが予想される。
これなんか、とってもよくわかる。
⇒「大阪都構想の財源問題」立命館 大森裕之教授

そうなると、少ないパイ(π)を、住民サービスが奪い合うことになる。
「老人に金出しすぎちゃう?」とか「教育はもっと自己負担できるでしょ?」とか、
「総合病院は減らさなアカン」とか、「図書館なんていらんのちゃう?」とか。
そうなることは、予算規模から言えば目に見えているので、
現在、「市政改革ブラン」で先取りして切り捨てるとこを示してるわけやね。

小さな政府、地方分権、自立する地域、自立する個人…。
どれも、聞こえはいいけれど、
本当に自立するには、先立つモノがなけりゃあムリなわけで。
要するに、お金の流れをどーすんの?って話。

区みたいな身近な単位が、名実ともに大きな権限を持つってことは、
地域社会にとって希望になるはず。
「ニア・イズ・ベター」って、すごく大事なこと。
だけど、それが、個人の自立に支えられる地域の自立であり、
受益者負担の原則が基礎になるんやとしたら、
自分で立つだけの力がない地域や個人は、どうすればええん?
しかも、福祉や教育の受益者って、はたして個人なんやろうか。
それが、社会全体の受益やからこそ、公共が支えてきたんとちゃうんやろか。

とすれば、
学校を選択するということに、保護者の責任をからめる意図は、
苦しい予算配分の区単位で、教育における市場価値部分を利用することによって、
保護者に受益者負担を強いるためやと私は思う。

そうまでして、大阪都にお金を集めたい意図は、
リニアや淀川左岸線やカジノなどなど、
大型開発を一手にできるからちゃうんかなぁ。

ほんまのとこ、どーなんやろうか。


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橋下さんと私たちの親和性。

維新が国政に出ようとしてる。
彼らの政策を見てると、とても復古的。
中でも教育は、多くの、すでに失敗した政策を、
臆面もなく、なぞろうとしてる。
なぜ、こんなにも新しさがないのか、
なのに、なぜ、こんなにも私たち世代は支持するのか…。

橋下さんは1969年生まれ。
私もほぼ同世代。

私たちは、いい大学に入っていい就職をすれば未来が開ける…、
それを信じて競争し、信じた結果が手に入らなかった世代。

私たちの受けた教育は、2つの価値観の狭間で、矛盾に満ちたものやった。
競争を勝ち切った者が生き残る権利を有するという価値観。
それから、戦争への悔いを背景に、どの子も大切に育てようという価値観。
橋下さんは、その矛盾によって、
生き残り競争の価値を下げられたと感じてるのかなぁ。
今、親になった私たち世代の多くが、
平等ぶった公教育のせいで、努力した人間が報われないんだという
橋下さんの苛立ちに共鳴してる。

彼は、今、戦争を悔いる価値観を、統制によって葬り去ろうとしてる。
統制は、財界が望む通り、公教育のスリム化にとって近道になるやろう。
だけど、その結果、どれほど多くの子どもたちが、
その痩せ細った教育からこぼれ落ちるやろうか。
この政策は、未来に責任を持ちえない。
だからこそ、私たち世代は、
苛立ちを公教育の解体に向ける短慮に気付くべき。

私たちは、経済ごと、やり直したいのかもしれん。
自分たちだけ、間に合わなかった、豪華客船に乗せてもらえなかった、
そんな気持ちで、不満をかかえながら中年になって。
でも、戻りたいと思う経済成長期は、破たんの原因をはらんでたよね?
原因が積み重なった末の破たんが、私たちに振りかかったんやったよね?
同じことをして、子どもたちの未来に破たんを押しつけるの?

安っぽい競争で培われた、根拠のない優越感や劣等感には、
未来を築く力なんかない。
橋下さん自身がそれを証明するやろう。

私は、わが子を孤独なサバイバルに駆り立てるのではなく、
わが子の世代が、手をとりあって生きる未来を準備したい。


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戦争を身近に感じるかどうか。

今日は終戦の日。
戦争は、67年前の出来事になった。

でもね、
私には、戦争の足音が聞こえる気がすることがよくある。
大阪市に住んでるからかなぁ。
最近、よく実感する。

教育にからみついてくる統制。
熱狂をもって迎えられる独断。
思想信条をおぞましいもののように言う彼。

昨日、若い友だちと話してたら、彼女はそんなの感じないって。
ほとんどの人は、そんな風に感じないんじゃないかって。

そうなのかぁ。

私がそんな風に感じる理由は何かなって考えた。
あらためて考えると、
背景にあるのは、理屈のある思想なんかじゃない。
生活の嗅覚というか、実感というか…。

1つは、子どもを持ったこと。
私は、子どもの未来を見るために今を見ている。
子どもらが受ける教育が、彼らに何をもたらすか、
子どもらが漕ぎ出す社会には、何が準備されているのか、
子どもを起点にして考える。
すると、結果として危機感を抱いてしまう。

それから、もう1つは、やっぱり母のこと。
(⇒http://yurihinana.blog.fc2.com/blog-entry-242.html
彼女の抱えていた寂しさを思うとき、
戦争が何か、その本質が見えるような気がする。
戦争は、たくさんの「小さな彼女」を傷つけるだろうと思う。
戦場や空襲の焼野原、たくさんの人の死という事実が確かにあるのと同時に、
見えないけど、悲しい「小さな彼女」を作ってしまう。
どれだけ多くの子どもたちが傷つき、どれだけ多くの大人が悔いたのか。
そんなデータはないけど、身近だった彼女の人生に実感するもの。

私は、子どもを脅かすものとして、本当に戦争を警戒してる。

生活の中で戦争を意識するかどうかを問いにすれば、
ほとんどの人は意識しないだろう。
でも、生活に入り込んでくる粗暴なニュースに、
「何か違うな」とか「何かやばいな」と思う人は、
結構いるんじゃないかなぁと思う。
そういう嗅覚を頼りに、子どもの未来を考える手をつなぎたい。



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反社会的ということ。

お餅ちゃん(3歳)は、現在、ドキンちゃんである。
兄たちから、おもちゃは取り上げるし、
気に入らないとすぐにモノを投げるし、
欲しいモノは泣いてでも手に入れようとするし、
なかなかゴメンナサイが言えない。

「おまちゅりやから、おたれちていくもん」
(解説⇒お祭りやから、オシャレして行くもん)
と言って服を選ぶ。セリフからしてドキンちゃん。

ドキンちゃん。 ←今日、お祭りでgetしたの。

「自分が楽しくて幸せっちゅうのがいちばん。
でも、自分の楽しさが、他人の迷惑になることがあって、
それが、反社会性ちゅうことになる」って、
先日のイベントで、落語家の笑福亭竹林さんが言うてはった。
昔で言えば、暴走族の子なんか、1人1人は気のええ子やったりするけど、
自分の楽しさと、他人の迷惑の計り具合がわからんのやね…って。
個人の楽しさを軸に、社会性を語ってはるとこがよかったん。

それって、やっぱり、他人も喜ぶことが嬉しいとか、
他人が嫌がったら自分だって嬉しくないとか、
他人との関係の中での、自分の楽しさっていう社会性を育むことなんやろうなぁ。
人とのつながりの中でしか、育てられないバランス感覚と思う。

その辺で言えば、ドキンちゃんはすごく反社会的。
3歳のお餅ちゃんは、これから、「やりすぎ」はアカンということも含め、
他人の迷惑を慮る練習をしていくんやろうと思う。
すでに、兄たちに対して、やりすぎた場合(福ちゃんを泣かすとか…)、
「シマッタ」という顔で、手元でいちばん価値あるおもちゃを渡そうとしたりする。

大人になるまでに、それを知るには、
人から大事にされたり、人を信頼したり、人を愛したり、
そういう経験があった方が、きっと近道できるんやと思う。

そして、もう一つ、大人の社会に個人の楽しさを追求できる環境があることかなぁ。
大人の社会が、個人を軽んじて、個人の幸せを踏みにじるケースにあふれてたら、
子どもは、どんな社会性を身につけるのかと思う。

オスプレイやら原発やら、
反社会性が、他の人を軽んじることを起点とするなら、
それらを押しつけることは、反社会的な行為ではないかと思う。
「公共の利益」が勝るのは、百歩譲って「やりすぎ」ない範囲。
「やりすぎ」たら、引かなあかんってことを、大人の社会が示すべきと思う。

今、まさに社会性を身につけようとしている我が子を見てると、
そんなことを考えたりする。


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「いじめ」厳罰化に思う。

大津のいじめ自殺をめぐって、いろんな報道がされてる。
いじめの陰湿さは、かなりのもんやし、ほんま許されへんと思う。

で、ここへきて、こんな世論が出てきてる。
学校外でやれば犯罪やのに、学校内なら「いじめ」で片づけられるのはおかしい、
刑事罰で対処すべき、厳罰化すべき。

うーん、これって何か違和感がある。

警察と学校…、金八先生の1シーンを思い出す。
学校に乗り込んできた警察に、加藤たちが連れて行かれるところ。
あのシーンは、なぜあんなにも悲しかったんか。
当時、私は、金八先生が全く好きではなかったけども、
金八が必死に加藤を守ろうとして、守りきれなかった姿は切なかった。
あの悲しさって、「こんなやり方で解決せーへんやんか」っていう
やりきれなさやったんちゃうかと思う。
中学生って、ものすごく未熟やんか。
中学生って、生活の背景をそのまんま背負って学校に来てるやんか。

いじめるのも子ども、いじめられるのも子ども。
彼らは、どっかから突然わいてきて、学校に存在してるわけじゃない。
彼らの背景には、家庭があり、社会がある。
競争教育のストレスにも、家庭の問題、将来への不安、貧困、
大人自身のストレスにも全部、子どもはさらされてる。

そして、学校の先生の背後にある問題も重大。
勤務評定や、大津の場合だと学校選択制も、
子どもを見ることよりも、外からの目を気にして、
上の顔色を見ることを重視してしまう要因になってないやろうか。

背後にある、複合的な要因を、ほったらかしにしたまま、
未熟な者に、自己責任を強要するってどーゆうこと?

子どもの授業理解度が低いからって、ただ留年させるって話と同じ。
あるいは、少年犯罪を厳罰化すれば抑止できるっていう安易さと同じ。
最終的に現れた現象のみを問題視して、
そこをたたけば解決するなんて、ずさんすぎる。
何で、そこに至る原因を、丁寧に分析して、ひとつひとつ解決せーへんのか。

大人社会でのいじめとも言える搾取や貧困や差別、閉塞感…。
子どもを取り巻く状況を、変えていくのは大変やけど、それこそ大人の責任。
そして、今すぐ、せめて子どもを見てほしい。
子どもに向き合ってほしい。
それができる環境を、先生に与えてほしい。

当該中学校を爆破するって嫌がらせするとか、
加害少年を吊し上げずには我慢ならないとか、
当事者でもない人々が、それを叫ぶことの、それが「いじめ」とどう違うのか。
問題を矮小化して、「犯人」を責めたてて、それで何が解決するのか。
死ぬほど苦しんだ子どもを思うと、やりきれん。



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母のこと。その2。

先日、「母のこと」を書いた。
たくさんの方が、直メールやコメントで感想を寄せてくれた。
ありがとうございます。

もう少し母のことを書いておこうっと。
自分が、かなり母の影響を受けて仕上がってるなぁ…と思うので。
彼女はどんな人だったのか。


私が保育園児だったとき、彼女はアフロヘアだった。
これ、NHKドラマ「ルーツ」(Roots・アレックス・ヘイリー原作)の影響。
アメリカの黒人が、自分の先祖を求めてアフリカで調査し、
1人の黒人奴隷に行き当たって…というお話し。
誇り高い奴隷「クンタキンテ」にリスペクトしてのアフロだったそうな。

だいたい、スットンキョウな服装だった。

「今日はオナカ空いてないし、晩ご飯はスイカにしよう」
てなわけで、マイボウルに、スイカの種をプププッとする晩ご飯だったり。
ある時は、それが柿だったり。

中学生のときは、
低血圧を理由に、あまりお弁当を作ってくれなかった。
私は、中学1年生のときから、
昨夜の残り物を自分で確保して、翌朝詰めたり、
白ご飯しかなくて、友だちに一個ずつおかずをめぐんでもらったりした。

「椅子に背もたれがあるから姿勢が悪くなるんちゃうか?」と言って、
食卓椅子の背もたれを、ノコギリで全部切り落としてしまったり。
(ちなみに背もたれが生えていた切株は、ささくれが危ないからと、
『核兵器廃止』『トマホークくるな!』というシールでフタをされていた…)

「リビングの扉の開閉音がうるさい」と言って、外してしまったり。
「犬が庭に穴を掘るから」と、
いちばん深く掘られる箇所にコンクリートを流し込んだり。

「ブロック塀が寂しい」と、自分で壁画を描いてしまったり。
(この壁画に、私の友だちはみんな大笑いした)

母は、保育士だった。
たいていの子どもは彼女に興味津々で、
何かしら、ちょっかいをかけに来て、彼女と遊びたがった。

そして母は、ご近所とも仲良しで、
あれほど思想的に硬派だったのに、みんなが家に集まってきた。

それは、彼女の思想が、理屈や机上の論理じゃなく、
彼女自身の切実な願いや、肌で感じる拒否感の表現であったからだと思う。
難しいことを語るのではなく(たぶん難しいことは理解していなかった)、
「不特定な誰かに」ではなく、「目の前に相手」に、
ただ人なつこく話しかけてたから。
母が、何らかの思想を語っているなんて、思う人はいなかったかも。
彼女自身も、そう思ってなかっただろう。


私も、マルクスは、母の実感を言葉にしただけのような気がしてる。
先に母。そして科学…。

どんなにエライ人と話すときでも、
「目の前の人の向こうにある何か」ではなく、
「目の前の人」に直に話す感覚、とか、

実感の伴った願いや、肌で感じる拒否感を根拠に、
政治的判断をするクセ。

まったく母ゆずりだなぁ…と思う。



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おもしろい記事書くために、おもしろい生活できたらええなぁ。その逆でもええけど。

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